"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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苗穂 (函館本線/千歳線) 2009

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苗穂 (函館本線) 1990 の続きである。

1871年に苗穂村とされた地域一帯は、その100年程前までは先住民族が「sat-poro」(*1)と呼んだ豊平川が曲流し、それの形成した扇状地ゆえに mem(湧水地)を水源とした水流の多く見られた。湿地の点在する原野には違いなかったここへの1870年代以降の工場立地は、その豊富な伏流水に依る。当初は官営であった、麦酒醸造所、葡萄酒醸造所、味噌醤油醸造所、製糸場、製糖所などである。これらが民間に払下げられると併行して、鉄道工場や北海道製酪販売組合連合会(*2)、福山商店(*3)が工場を開設し、陸軍秣本廠札幌派出所(*4)も言わば食料工場であった。他にも、北海道瓦斯が工場を新設し、鉄工所に木工所、機械工場など中小の工場が立地して往けば、原料に製品の輸送需要が増大して札幌から延伸された貨物側線を分離した扱い拠点を要して、それら工場地帯立地過程の1910年に設置されたのが苗穂駅なのである。貨物主体の駅として置かれたとして良い。
そして、道路交通との接点となる北三条通りを始めとした周辺地区に倉庫群が集積し、工場労働者向けの住宅も建設の進んだものであろう。1916年の陸軍参謀本部陸地測量部による地形図「札幌」図輻には、通り沿いに市街地の形成されつつある様子が伺える。この前年、1915年1月20日には馬力動力の札幌市街軌道が市内の物流を担うべく東2丁目から苗穂町(*5)までを延伸していた。
この馬車鉄道は、札幌電気軌道と社名を変更後にその名の通りに各線の電気運転化を計画し、この軌道を1918年に一旦全面撤去の上、電車運転設備を再敷設して部分延伸を経て1922年12月31日に道庁前から苗穂停車場前まで2.1キロの営業を開始した。この頃までには沿線人口も増え、工場通勤者などの需要も相当に生じていたものと思われる。また、1925年に苗穂に接続した北海道鉄道(2代)は、当面実現しない省線札幌への乗入れに替えて、この札幌電気軌道線と連帯運輸(*6)を行い市内への交通を確保した。
札幌電気軌道は、1927年6月に買収により札幌市電気局軌道線となった。札幌市公営交通の始まりである。

苗穂には国鉄自動車も発着していた。1934年6月10日に、道内で最初の鉄道省監督局陸運課の自動車路線となった札樽線であり、それは苗穂を起点に手宮までの43.8km(*7)であった。
当初には、旅客自動車5台と貨物自動車1台が北三条に置かれた車庫に配属され、同区間に4往復の運行を開始した。苗穂の起点設定は、前述のように或る程度に交通の結節点化していたこともあるだろうが、この当時の札幌停車場はその構内南側にも、東方には運輸関係機関とその裏手に小口貨物積卸線が引込まれて倉庫群が建並び、西方には札幌鉄道局局舎が広い敷地を占めていて、自動車の発着場や操車施設を追加する余裕のなかったものであろう。札幌は自動車線の連絡駅ではあったけれど、それが構内に乗入れることはなかった模様である。
戦時にともなう1944年からの休止を経て1947年に再開し増便もなされた札樽線は、1958年7月5日に札幌駅構内に上記側線に倉庫群を整理して国鉄バスセンタが開設(*8)されると運行はここを起点に改められ、苗穂方面には戦後の1947年3月20日に開設の長広線長広本線の札幌-由仁間41km(*9)のみが運行されることになった。けれど、この路線は西2丁目から国道27号線(現12号線)を運行して、苗穂至近の停留所は東橋であった。

1960年代前半の記憶だが、道庁前から乗った市電4系統の電車から見た北3条通りは商店の散在する古い街並が続いて、終点の苗穂駅前に降りれば、その先は工場ばかりで札幌の街外れの印象であった。都心から2キロ程の至近距離にありながら南を豊平川に北を鉄道線路と工場群に抑えられて広がりを持てず、札幌の発展からは取り残された地区となっていたのである。
* 脚注は追記にある
(この項 苗穂 (函館本線) 2000 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)

写真は、苗穂東方の複々線区間での8010列車<カシオペア>。
73年の複々線化事業についての詳細は後述するが、この豊平川橋梁までの区間は最も北側の現函館下り線が増設線である。<カシオペア>の往く千歳下り線(上り運転線)が旧函館下り線、千歳上り線が旧函館上り線、函館上り線が旧千歳線位置になる。その左側にはかつて構内側線が伸びていた。

[Data] NikonF5+AT-X300AF PRO 300mm/F2.8D 1/125sec@f4+1/2 Non filter Ektachrome Professional E100GX [ISO160 / 0.5EV push] Edit by CaptureOne5 on Mac.

(*1) ご承知の通り「saru-poro」説もある。札幌市は公式にはこちらの説をとっているようだ。
(*2) 後の雪印乳業
(*3) 後の福山醸造
(*4) 現陸上自衛隊第11旅団苗穂分屯地
(*5) 同地形図からは苗穂停車場向かい北三条通りの南側に所在と読める。
(*6) 後の連絡運輸。呼称の変更は1940年10月1日付である。
(*7) 苗穂駅-札幌駅-富岡-手稲駅-礦山通-小樽築港駅-住吉神社-南小樽駅-小樽駅-手宮駅間である。旅客・荷物と貨物営業を行った。(開設時)
(*8) この年に行われた札幌地区改良工事により小口貨物扱いが苗穂に移転し、その施設跡地に置かれた。苗穂 (函館本線) 1990 の記事を参照。
(*9) 札幌駅-(白石駅)白石市街-釣橋-北広島駅-中央長沼-由仁駅間である。旅客・荷物と貨物営業を行った。(開設時)
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