"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

黒松内 (函館本線) 1975

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8620の牽く水郡線列車の木造客車に乗る姿は親父の撮った写真に残るけれど、幼少の自分に記憶は無い。オハ31には微かに記憶の在るものの、1950年代の末に小樽から札幌への「お出掛け」に乗った、窓と座席の合わない客車がそれと後になって知った程度である。この形式は700ミリ幅3個組の客窓に二つの座席区画が割り振られた設計だったから、子供の眼にはそう見えたのだろう。
魚腹台枠を持つ17m級鋼製客車だったこれが、その構造ゆえに1960年代半ばまでには一掃されたのに対して、経年で大きくは変わらない20m車体のスハ・スハフ32は80年代まで生き残ったから、その組成列車を良く眺めもしたし乗って旅もした。オハ35からの1000ミリ幅の広窓も良かったけれど、ひとつの座席区画に高さ740ミリ/幅600ミリの客窓の2個が並ぶ、その「ひとりひと窓」が気に入って、編成にこれがあれば選んで居場所を決めたものだった。
もっとも、道内に限ればオハ35(オハフ33)の配属は以外に少なく、急行列車の14系化でスハ45・スハフ44が大量に捻出される以前の本線系統の長距離普通列車は、この形式が主力ではあった。函館本線の121・122列車に宗谷本線の321・324列車や石北本線の521・522列車、根室本線の421・422列車などである。旅客車がこれで揃った美しい編成をご記憶の向きも多かろうと思う。
内地の、例えば東北線筋の同形は古びた印象が強いのだが、道内車はいつも奇麗に整備されていた記憶があり、特に、函館本線系統列車は函館客車庫以来の伝統なのか、必ず順位票(号車札)を差して優等列車然としていたことや、温気暖房機搭載のオハ・オハフ62主体の石北線列車にあっては札幌直通の521・522は別格の存在だったことも思い出される。同線仕業のDD51は、夜行急行とこの列車のためだけに蒸気暖房装置を稼働させていた。
函館山線夜行や根室線夜行(後の<からまつ>)にも組成されて、その窓側に肘掛けの無い、シートピッチ1455ミリは、閑散期にひと区画を占拠して対角線に横になるにはスハ45よりも快適であった。遅い時期まで白熱灯照明の車両も残存しており、減光の必要も無いような(実際にその仕様にはなっていなかった)古の夜汽車の旅も味わえたものだった。

写真は、121列車の旭川行きに組成された函館運転所のスハフ32。
この頃のダイヤで函館を6時20分に出て20時06分の終着は、全区間に乗って見たいような、乗りたくも無いような列車であった。
内地で多客期の臨時急行への組成を見かけると、あまりの格差に愕然としたクルマだったけれど、北海道のこれで揃った編成は優等列車のように美しかった。

[Data] NikonFphotomicTN+P-AutoNikkor105mm/F2.5 1/125sec@f8 Y48 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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