"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

(旧)西の里信号場-北広島 (千歳線) 1970

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上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1998 から続く

千歳飛行場の始まりは、当時の小樽新聞社が所有した複葉機「北海号」を着陸させるために村民自らが切り開いた滑走路にあり、それは1926年10月22日のことと千歳市史は書いている。この年に開通した北海道鉄道札幌線を利用した小樽新聞社主催の鮭孵化場への観楓会旅行が切っ掛けだと云う。
この村民着陸場は、引き続いての奉仕活動による拡張を経て1934年に千歳飛行場として開場し、日中戦争勃発後の帝国海軍は、北方からの米国艦隊の南下に備えてこの飛行場を1937年に接収、大規模な拡張整備の上で1939年までに洋上攻撃の大型機を含む48機を擁する第12航空艦隊司令部千歳海軍航空隊を置いた。
ここへは建設資材搬入線として北海道鉄道の千歳停車場から線路が引込まれ、完成後には航空隊軍需部倉庫を経て弾薬庫まで延長、燃料庫への分岐線も敷設されて軍需物資輸送の専用線に使われた。この専用線の当時の名称は調べ得なかった。
ここに北海道鉄道線は戦争遂行上に欠くべからざる路線と認識されるに至り、国家総動員法の第八条に基づく勅令である陸運統制令(1941年11月15日勅令第970号改正)を発動した買収にて1943年8月1日を以て国有鉄道に編入され、その千歳線となった(1943年7月26日鉄道省告示第203号)。起点は苗穂に置かれ函館本線の支線である。線路名称は線内千歳駅の存在よりも千歳海軍基地を意識したものであろう。

国有鉄道線となったものの線路設備に保安設備は脆弱なままで、引き継いだ機関車に替えての貨物や混合列車の牽引は、簡易線向けC56に限られ、9600形も入線した記録のあるようだが重い軸重に速度制限が課されただろう。旅客列車は引続き単行運転のガソリン動車が札幌と苫小牧を往復するのみの地域交通線であった。
ここに室蘭本線を経由とした長距離優等列車の運転されるのは、1946年4月22日から小樽経由にて上野-札幌間に客車航送をともなって運行を開始した連合軍専用列車(後にYankee Limitedと命名)を、軍用鉄道輸送軍鉄道輸送司令部の指示により11月5日の運転より経由変更したのが最初である。おそらくは千歳エアベイス最寄りの千歳への直通と到達時間短縮を意図しての札幌地区輸送司令部の発案と推定されるが、室蘭本線は運炭列車に内地への貨物列車経路であり、函館-札幌間の旅客列車経路は函館本線を唯一と考えていた国有鉄道当局に、距離は上回っても勾配の小さい室蘭本線回りの優位性を認識させる契機となったのだった。
(この項 上野幌-北広島 (千歳線) 1988 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)

先行して1969年に完成していた北広島方の盛土区間を往く、急行貨物4097列車。
ここには既に複線の線路が敷設され、将来の上り線(下り運転線)を旧線から切替えて使用していた。その使用開始日を輪厚橋梁の供用から明らかにしようと試みるも成らなかった。
現在の共栄西通りの西端あたり(工業団地の敷地かもしれない)、旧線の路盤から撮っている。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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