"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1998

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千歳線の苗穂から北広島までの区間が別線の複線新線に切替られたのは1973年9月9日のことだった。国鉄の資料に線増と記録される工事は、実質的に新設線であり札幌周辺の鉄道の一大変革だったから、着工以来を折に触れ目にしていた身としては是非当日に立ち会いたいと考えたものの、遠く内地の学生とあってはままならず、その夏の渡道の際に手に入れた切替にかかわる旅客向けチラシを眺めるに留まった。

新線の延長は19.6キロにて既設線の21.9キロを短縮するのだけれど、施設上の位置は苗穂起点21K900Mの北広島を固定して、実質的には新設駅である苗穂方隣接駅の上野幌を北広島からの新線上の実距離8K000Mの13K900M地点とした上で、新札幌-上野幌間に距離更正点を置き、その2.3キロを打ち消している。
1965年2月の上野幌-沼ノ端間工事認可時には計画になかったこの新設停車場は、1967年3月の工事計画変更にて設置が決まり、書類上には既設の上野幌の移設と扱われて、大谷地からの3.5キロを新札幌からの2.9キロ、北広島までの9.5キロを8.3キロが公示されたのみで新線の記事は無い。但し、千歳線の営業キロ程は開業日の同日付にて植苗-沼ノ端間の0.1キロ短縮と共に62.6キロが60.2キロに改正されている。
なお、新線の北広島寄りの区間は1969年に将来の上り線を使用した単線運転が既に施行されており、この日に切替えられたのは、正しくはそれの以北区間になるのだが、これは書類には残されていない。この切替地点は現在の西の里信号場の北広島方、起点19K200M付近である。ここで新設線は既設線と交差する設計となっており、それを利用して北広島までを先行して新線に移行していたのである。今この地点を旧線路盤を転用した自転車道のループ橋が越えている。輪厚川の河川改修と併せた輪厚川橋梁の老朽対策として先行したものだった(*1)。

千歳線はこれにて全線の複線化がなり、1980年の電車線路設備と千歳空港連絡駅の設置を経て道内の最重要幹線として機能しているのはご承知のとおりである。
この線区の北海道鉄道(2代)の札幌線としての建設は、同社が北海道鉱業鉄道の名で金山線を沼ノ端から辺富内までを建設中の1919年12月に、その社名の通りに鉱石や石炭輸送を主体にしていた金山線に対して函館本線と室蘭本線を短絡する主には旅客輸送を目論んで免許を申請したことに始まる。翌年(1920年)8月3日にそれを得て10月1日に着工したが、同年11月に辺富内に炭礦事務所を置いて探査したところ採炭の非採算が明らかとなっては旅客輸送に軸足を移さざるを得ず、札幌線に社運を掛ける事態となった。1924年3月3日付での北海道鉄道への社名変更はそれゆえである。
とは云え、1919年8月13日閣令第11号の地方鉄道建設規程による建設は、国有鉄道における丙線規格であり、軌道負担力はK-13にて設計され、この苗穂-北広島間では月寒付近に12.5パーミル(1/80)、上野幌上り方に13.3パーミル(1/75)、上野幌と北広島間には14.3パーミル(1/70)から最急15.2パーミル(1/65勾配)が連続し、R=260Mの急曲線も介在していた。当時に、石炭積出港として発展していた小樽と室蘭を札幌を介して連絡する路線と期待されたようだが、幹線として機能出来る線路ではなかったのである。
以下、これに替えての千歳新線について数回に分け記述して往く。
(この項 (旧)西の里信号場-北広島 (千歳線) 1970 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)
..........................................................................................................
(*1) この起点19K200M付近北広島方に存在した曲線の改良も含んでいた。ただし、この曲線改良と輪厚川橋梁の架替は1969年内に2回に分けて行われた可能性がある。

施行基面高63メートルの野幌丘陵サミットに達した4061列車。
DF200の配備途上にて、まだまだDD51の重連運用の残されていた頃である。
かつて、機関車の横位置に旧線西の里信号場の本屋が存在し、画角の左へは工事用道路が通じていた。当初の千歳新線計画では、トンネルでの通過が想定されていた地点でもある。詳細は後述する。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/500sec@f2.8+1/2 C-PL filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

こんにちは

私の実家は ちょうど月寒~大谷地の沿線にあります 前にもお伝えしたかな
なので興味しんしんで読ませていただいております

沿線と言うかもう、クマザサ生い茂る路盤の真横の線路わきに住んでましたのでいつもいつも列車が通るたびに追いかけて手を振るのが 幼児期の楽しみでありました
廃線ののちも、そこを自転車で友人たちと上野幌駅を超えるところまで鉄道の名残を探しつつ行くのが楽しみでもありました

月寒 は つきさっぷ なのですよね(^^)
アサヒビール工場の敷地近くに残る駅跡の碑に、ちゃんと「つきさっぷ駅」と書いてあるんですよ
帰省するたびそれをみるのがなんだかうれしい年ごろ(笑)です

  • 2013/10/14(月) 18:13:09 |
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Re: タイトルなし

こんばんは。いつも、ありがとうございます。

一番古い記憶で、1962・3年頃でしょうか。内地への帰省に乗った千歳線の車窓に見た千歳線は、東札幌の大きなカーブからの雑然とした街並が月寒(断じて、つきさむではありません!)手前で尽きると、線路両側には畑作地と住宅地とが交互に現れたように記憶しています。それも月寒川を渡るとさらに疎らになって、宅地開発がようやく始められた頃と思います。
確か、左手には今の南郷通りも見えたはずです。
そうそう、南郷通りと言えば、70年頃に自宅から自転車で千歳新線の工事を眺めに往った帰路、それは今の上野幌から274号線を通ったのですが、拡幅前の細道の上にそれが団地の外れで二股になっていたりで、南郷通りが見つからずに途方に暮れたことがありました。羊ヶ丘の方向に日の沈むのが心細かったのを妙に覚えています。
手稲の家に帰り着いたのは8時を過ぎた頃でした。

  • 2013/10/15(火) 00:50:08 |
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