"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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苗穂 (函館本線) 1996

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苗穂 (函館本線) 1989 の続きである。

札幌から苗穂への高架橋と斜路の建設用地は、札幌停車場の高架設備が主に旧札幌客貨車区用地を利用したゆえ既設線群の北側に求められ、その工事期間を通じてこの区間の5本の線路は維持された。南側構内側線は北海道瓦斯への専用線機能を擁したし、北側線は苗穂機関区との回送線として欠かせなかったためである。
琴似から苗穂までの高架線は1988年11月3日より使用を開始し、ここは本線4線の複々線区間となった。11月2日夜からの苗穂構内での線路切替工事は翌始発までの完了に約800名の作業員が動員されるものであった。
苗穂運転所の出入区線と工場線は、各線間の渡り線で上り外側線まで進出可能な位置にて下り外側線への接続とされた。

古くは停車場設置以前の札幌の構外貨物扱い施設に始まって、鉄道工場用地に機関庫や貨車検修施設の移設、近年では貨物扱いの吸収に荷物関連施設の移転と、広い構内を、その時々に本来札幌が担うべき機能の代替に隣接駅として努めて来たのが苗穂駅と言える。
1994年11月1日に実施の札幌圏輸送改善では、札幌駅の上り方留置線を桑園まで延長して、これを函館本線下り線とし既設の下り線を札沼線列車運転線とする桑園-札幌間の3線運転化にともない、これにて不足する札幌での列車留置線を苗穂構内に求めて、小樽方面行き乗降場を駅本屋側の旧操配線を整理して移設し、その跡地に2線の留置線の設置がなされた。この移設乗降場は最長でも6両組成の停車列車にホーム有効長は156メートルと短いものとなっている。この留置線の使用は10月1日より開始され、同日付でもこれにともなうダイヤ修正が行われた。

牛舎由来のマンサード屋根こそ持たないものの、中規模な北海道型駅舎の典型と云って良い駅本屋は、建物財産票によれば1935年10月の登録となっている。それは国有鉄道固定財産管理規程に定めた固定財産保管簿への記載であって必ずしも建築年とは必ずしも一致しないのだが、鉄道省年報にはこの年から翌年に貨物施設の増強工事が行われたとある。(駅本屋には触れられていない)
1925年8月にここへ乗入れた北海道鉄道(2代)は、その接続方向から構内南側に乗降場を設置したと考えられる。開通当時の同札幌線は機関車牽引による混合列車だったから、行き止まり式の乗降場ではなく、機回線も付帯した設備を要し、苗穂機関庫未開設につき転車台も設置されたと思われる。
それが1935年の貨物設備増強工事に支障し、乗降場を東寄りに移設の上でそれに面して駅本屋を建替えたのではなかろうか。現状で明らかに乗降場の上に建築された実態にも説明がつけば、1948年の米軍による空中写真にも駅本屋に接しての乗降場が確かに見て取れる。その乗降場を本屋土台部を残して取り壊し、貨物側線に転用した残滓が現況と思われ、1960年頃の実見でも既にこの様相だったと記憶する。1957年までここに出入りしていた定山渓鉄道の電車は、その向かい側に設けた行き止まりのホームに着発していた。
現在の乗降場番号付番の3番から6番ホームを以て、かつての1番2番ホームがそこに存在したゆえとする説があるが、確証は無い。1965年の島式乗降場増設以降に、苗穂駅の本線/副本線であった1番線から7番線で乗降場に面したのも3番から6番だったのである。1・2番線は上りの、7番線は上下の貨物列車の着発に使われた。1番線の本屋側には貨物操配線が2線在った。
94年の小樽方面行きホームの移設に際しては、旅客に浸透した3・4番付番を継承したものである。
(この項 苗穂 (函館本線) 1990 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)

札幌からの斜路を駆け下りて苗穂場内に進入した2列車<北斗星2号>。
これは立体交差事業の完成で可能になった画角である。

[Data] NikonF4s+AiNikkor ED300mm/F2.8S 1/250sec@f4 Fuji SC56 filter Tri-X(ISO320) Edit byPhotoshopCS3 on Mac.
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