"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

斜内 (興浜北線) 1977

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Nikon のカメラ自体は極地でもなければ特別の手当なしに相当な低温にまで耐え得るとは承知していたので、それの保温を考慮するのは、低温によるフィルムの折損にパーフォレイションの破損を経験していたからだった。何れもフィルムアドヴァンスの際に生じて、そのロールでの撮影続行が不能となるばかりか、最低でもひとコマの撮影済みカットを失うことにはなる。
初めてのこの事態には、目についた民家に頼み込んで押し入れを借り、なんとかパトローネに戻し込んだものの、案の定キズを入れてしまったものだった。今になってみれば、そのことよりも突然押し掛けた見ず知らずの若者に善くも押し入れまで案内してくれたものと、そればかり思い出す。以後しばらくは完全遮光のシートフィルム(4×5判)の空箱にダークバッグを持ち歩いていた。
ザックに収納した持参の水筒が凍りつくような環境となれば要注意で、アドヴァンスを慎重に行うのだけれど、パーフォレイションの割れて、それに気づかずに撮影してコマの一部を重複させたこともあった。

カメラの保温としても妙手のある訳ではなかった。オイル燃焼式の懐炉は自体が発熱するけれど体温と相乗して効果のあるもので、単体でカメラバッグを保温出来るはずも無く、その頃出回り始めた化学反応にて発熱する使い捨てカイロとて同様である。ウールで巻いてバッグに収めたりもしたけれど、それも体温を保温するのだから、考えてもみれば一度外気に晒した無機物には意味を成さない。
その時代に誰もが持ち歩いていたアルミ張りのバッグ、通称の「銀バコ」が如何にも冷えそうに思えて、ナイロン製のソフトバッグに差替える切っ掛けでもあった。

冬の北オホーツクを撮りたくて訪れる興浜北線では吹雪に出会い、仕方なく翌シーズンにも往けばまたも吹雪かれて、それを何年か繰返した。三脚を手で押さえねばならない程の烈風に画角を決めれぱ、列車時刻までカメラはバッグにしまい込むのだが、定期列車の所定時刻に排雪モーターカーの走るような無ダイヤ下では、三脚上にそれを備え続けることになる。気温は氷点下10度に達していないと思われるが、風雪に晒されての表面温度の低下には防風効果のあるスタフバッグが有用であった。ナイロンは比熱も小さい。

列車は、小一時間遅れの925D。北見枝幸行き。
次の吹雪が目前に迫っている。

寒冷によるこの種の事故は、F や F2 の時代のことで F3 になってすっかり解消した。フルボールベアリングを採用した極めて優れた巻上げ機構によるところだろう。但し、F3 では別の問題が生じた。結露に起因した事故である。これについては 中丿沢 (函館本線) 1997 に書いた。
なお、寒冷の環境は同一露出設定の連続した撮影にて、現像後の隣接コマの露出が明らかに異なるなど、絞りの動作を補償しているグリスの固化に起因した事象も生じてはいたのだが、当時のモノクロ撮影にあってはさほど問題にはしなかった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor28mm/F2.8 1/500sec@f4 Y52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.

Website "カメラ 万年筆" Updateのお知らせ (2013-10-09) 再掲

Reference に、読み物「青函連絡船 私的覚書き」を公開しています。
ここのブログでの連絡船関連記事をまとめたものですが、大幅に加筆修正し、写真・図版も多数追加しています。
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