"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

深川機関区留萠支区 (留萠本線) 1973

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このD5186は石炭を満載していることに解る通り、用途廃止で放置されているでは無く、朽ち落ちそうな矩形の機関庫も現役の庫である。目前に迫った留萠本線/羽幌線の無煙化に際しては、検修区所としての廃止が予定されていたから、補修を見送られていたものだろう。
ここの機関区は、留萠本線と羽幌線の間に扇状に開いた広大な留萠駅構内の最も港湾側に位置して、船入澗の岸壁までは至近であった。もっとも、それは現在の錦町一帯に掘込まれていた船入澗の埋立に替えて戦後に築造されたもので、古い地図を見れば機関庫周辺には鉄道官舎が建ち並んでいたようである。
ここには、1910年11月23日の深川-留萠間開通と同時に終端駅設備として機関庫が設けられたが、規模の小さいゆえか1912年4月6日付にて旭川機関庫の留萠分庫とされ、1917年6月1日には廃止されてしまう。同日付で深川に設置した旭川機関庫深川分庫に機関車配置が集約されたものであった。給炭や給水設備まで撤去されたでは無く、駐泊所としては機能したことだろう。
ここが、深川機関庫の留萠分庫となり機関車が再配置されるのは1933年12月20日のことで、それは1932年までに開通した留萌鉄道の炭礦線に臨港線の運行管理を国有鉄道が受託したことにより、留萠での機関車常駐を要したためであった。写真の機関車庫はこの際に建てられたものと推定する。
戦後には、基本的に羽幌線/留萠本線を出ることの無かったD61形蒸機の全6両が、ここの配置であったのはご承知のとおりである。この1973年夏にはD613と614が車籍を有していたものの、614は深川区で休車となり辛うじて613のみが稼働していた。

当時も書類上にはD613の配置区であった留萠支区は、小さな機関区ながら庫内2線の矩形庫延長上の駅乗降場寄りに木造の検修台と背の高いの給水塔が、そのさらに先に小型のコールビンが存在し、転車台はその北側に隣接していた。庫とは別棟に修繕職場と事務室が付属したが、修繕職場はこの当時には既に使われていなかったと記憶する。
今、この旧留萠駅構内は、留萌市により船場公園と呼ばれる都市計画公園とされるものの、ただただ広大なグラウンドが存在するのみで公園とは名ばかりである。この機関区位置はそれからも外れて土埃が舞う。

[付記] D5186は、1937年に国鉄浜松工場を同工場製作のD51初号機として出場したものである。その縁でこの翌月に第二種休車に指定されると浜松工場に運ばれて整備の上、工場敷地に保管された。現在は、舘山寺フラワーパーク内に展示されている。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F1.4 1/250sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

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コメント

ご無沙汰しておりました (^-^;

お久しぶりです。
この一、二週間、時間を見ては鉄道撮影の練習をしていました。
すごく難しい。。。の一言です。
一朝一夕にどうにかなるものではないと重々承知しておりますが。
それにしても、自分の感性の弱さ、技術の拙さを嫌という程思い知らされた次第です。
しかし、楽しい!・・・これも実感しております。

鉄道写真の素晴らしさを知るきっかけを与えてくださったWonder+Graphicsさんに、この場をお借りして厚くお礼申し上げます。
ありがとうございます!

本記事と全く関係のないコメント、ごめんなさい。m(_ _)m
いつも拝見しております。

  • 2013/11/06(水) 10:37:24 |
  • URL |
  • うめじろう #-
  • [ 編集 ]

Re: ご無沙汰しておりました (^-^;

遅レス、申し訳ございません。
やられました、雪に。

過分なコメント、恐縮の至りであります。
前景の処理に背景のバランスなど、特に他のフィールドショットと
変わるではありません。
撮っている自分が楽しんでさえいれば、感性など自ずとついて来ます。

  • 2013/11/13(水) 14:03:57 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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