"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

音別 (根室本線) 1986

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1985年3月14日のダイヤ改正は、1984年2月改正を深度化して鉄道の特性分野である「都市間」「大都市圏」「地方都市圏」の輸送改善に重点が置かれ、道内の都市間輸送を担う特急形気動車では、車両増備を伴わぬ中で編成組成の減車による捻出分にて増発を行う特急列車網の整備が計画された。
この運用増にともない所要となる制御車と特別車(グリーン車)については、キハ183系列には編成短縮にて不要となる中間電源車キハ184を種車としてキハ183-100番台とキロ184(-900番台)が改造出場した。
この系列の計画当時にも量産車の投入時点でも、道内気動車特急はキハ82系の基本である7両組成に2ないし3両を増結した組成での運用が常態であったから、制御車を前頭非貫通として中間電源車を含む9ないし10両を基本組成としたものだろうが、当時に北海道総局側が強く要望した食堂車製作を将来的な列車体系の変動予測から見送りながら、その量産車から5年を待たない時点までの国鉄を取り巻く輸送市場の変化を織込めなかったものか、とも思う。この時代の車両設計部署と営業現場の乖離した国鉄のモラール低下の一端を示す事象と云えよう。

キハ184の後位側に追設された中間組成も前提の貫通構造運転台は、非貫通の0番台との統一と設計に工作の簡略から平面ガラスが採用され、共通設計の前照灯を屋根上に装備した独特の形態となった。施工車4両の内、1984年12月から85年1月に出場した 101-103 の3両は、その塗色も0番台を踏襲して前頭部下部全体を赤2号としたのだったが、84年12月1日に五稜郭車両所を出場して報道公開された101の、その評判が部内も含めてあまりにも芳しくなかったものか、続いて12月18日に苗穂工場を出場の102とも、12月27日の運用投入から10両組成の中間にキハ184の代替に組み込まれて先頭には出ること無く、85年2月に再入場してダイヤ改正までにキハ82の制式塗色に類似の塗色に変更された。
五稜郭を85年1月9日の出場となった103のみは、原塗色のまま中間組成を経て85年3月18日から函館所[A2]仕業に札幌方先頭車として3月27日まで運用の後の再入場となった。この10日間に<北斗>の1・6・5・10号を撮影していれば貴重な記録である。85年3月13日に苗穂を出場の104は、当初より変更塗色であった。

その後に、キハ183-100番台車は、500番台系列に採用の新特急色、キハ281系に類似のHET色、そして北海道旅客鉄道特急色(各塗色名称は通称)と投入運用により変転したけれど、この85年当時に国鉄制式塗色を準用したものが最も似合っていたように思う。キハ82と共通部品を採用した愛称表示板(第3種列車名票)は、絵入りとなると同車には不似合いだったのに、このクルマには違和感無く釣り合っていたのも不思議ではあった。

写真は、5034D<おおぞら4号>函館行きの最後部に組成されたキハ183-100番台。後追いである。
この頃には、車両の向きをキハ184の組成方向に合わせていたので、先頭車としての組成は函館方に限定された。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f4 Fuji SC52 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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