"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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札幌 (函館本線) 1985

sapporo_12-Edit.jpg

苗穂 (函館本線) 1988 の続きである

1965年9月25日に札幌-苗穂間は函館本線の3線運転となり、ここには北側・南側の構内側線を併せて5本の線路が並んだ。本線列車運転の3線は北側から、下り線、上り中線、上り線と区別され、上り中線には上下列車が運転された。この際に島式1面が増設された苗穂の乗降場は南側一面が千歳線用、北側が函館本線用に使われたから、その振分けは苗穂の札幌方にて行われ、上り中線の供用により両線列車の並列運転が可能となっていた。苗穂の乗降場の番号付番の3番から6番ホームはこの時からと記憶する。

1967年には白石方で大規模な工事が着工される。
1926年8月21日の(2代)北海道鉄道札幌線として開通以来の線形の残る千歳線を苗穂から北広島までの区間(書類上は苗穂-上野幌間)で複線の別線に付替えとする実質の新線工事であり、それの苗穂から白石までは函館本線の複線と並行させ、内側2線を千歳上下線、外側線2線を函館上下線とする方向別の複々線を構築するものであった。
この別線は1973年9月9日に使用を開始し、苗穂停車場では上記のとおり増設されて島式2面となっていた乗降場の、南側の3・4番線を函館本線/千歳線の小樽方面行き、北側の5番線を千歳方面行き・6番線を岩見沢方面列車の着発とする現行に改められた。豊平川橋梁の架替を含んだこの工事の詳細は後述する。
苗穂の白石方配線は引き直され、ここにも札幌方同様に各線を相互に結ぶ渡り線が挿入された。札幌方の3線と続く札幌の着発線を有効に活用するためであり、この苗穂の特異な配線に就いては、以前の記事 苗穂 (函館本線/千歳線) 1992 で触れている。
この時点以降には、札幌から上り中線を運転の千歳線列車は、そのまま苗穂の千歳下り線(上り運転線)に進入するが、下り線運転列車は苗穂構内に入ったところで渡り線にて転線していた。函館本線下り列車はその逆である。
対して、岩見沢方面からの函館本線上り優等列車は、苗穂白石方のシーサスクロッシングを渡って千歳線上り線に転線する運転が大半で、乗降場を通過後に上り線に直進もしくは上り中線への転線を選んでいた。この3線運転では、上り列車には苗穂構内の千歳上り線が直進ルートであったためであり、函館上り線に入るのは主に停車列車であった。白石から札幌構内まで両線で併行ルートを構成するには、勿論その限りでは無い。

1960年代後半より北海道・札幌市から要請の在った札幌停車場を含む札幌市内函館本線の立体交差化事業は、市、道、国鉄による協議をまとめた1975年の札幌市による原案を翌76年に国鉄が同意して、1977年に北海道が事業計画を認可、1978年11月27日に起工した。
当初の札幌市の提案は発寒川から豊平川までの7.8キロ区間であり、苗穂停車場を含むものであったのだが、鉄道工場や運転区所を地平に置かざるを得ず、出入区線が残って東9丁目踏切を除去出来ないなどから見送られた経緯がある。また、国鉄側には、高架化後の札幌に存置出来ない荷物・郵便扱い施設を、近隣で用地も確保可能な苗穂への移転を要した事情もあった。
(この項 苗穂 (函館本線) 1989 に続く- 参考文献はシリーズの最後に記載する)

札幌-苗穂間の5線区間は、ここの高架線工事期間を通じて維持された。
写真は、苗穂から上り中線を運転して雨の札幌構内に進入する838列車。停車場部の高架躯体が立ち上がった頃である。
岩見沢からのこの列車は、函館上り線より苗穂の場内信号で千歳上り本線に転線し4番線ホームに停車、発車後にさらに上り中線に転線するルートの運転であった。
なお、この小樽-岩見沢・滝川間のシャトル運用は1979年2月1日からオハ51・オハフ51形が積極的に投入され、82年度内に完了していた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mm/f2.8ED 1/60sec@f2.8 Fuji SC48filter Tri-X(IAO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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