"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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札幌 (函館本線) 1970

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1988年11月3日の札幌駅の高架化(第一次開業)に際して、札幌-苗穂間の函館本線は複々線となり、苗穂-白石間の函館本線・千歳線の並列複線と接続して札幌からの両線列車の分離運転が実現した。けれど、札幌に在住当時の1960年代始めに意識してそれを数えた頃も、苗穂までの線路は4線だったのである。函館本線の上下列車は内側の2線を運転し、外側の線路には時々貨車の走るのを覚えている。

札幌から当時の苗穂村方に鉄道の開通したのは、云うまでもなく1882年6月25日の官営幌内鉄道札幌-江別間仮開業による。1878年作成の『北海道札幌之図』によれば、この頃の苗穂は、豊平川の本流が旧雁来川に転流した残滓である伏籠川が曲流しており、札幌の北側市街地は東2丁目(当時には雨竜通り)までが区画割りされたのみで、監獄支署の向こう側には原野の広がるばかりの隔絶された地であり、幌内鉄道の次駅は白石のフラグステーションであった。
当然に単線の線路であったここには、1890年に本線北側に沿ってもう1本の線路が敷設される。苗穂に立地した札幌製糖工場への専用線である。これは1897年までに工場の操業停止により休止されてしまうのだが、その工場跡の大日本麦酒札幌工場製麦場への転用に際して1909年11月8日付にて、その専用線として復活する。
専用線延長の0.66キロは、この旧札幌製糖専用線の工場内引込部と思われ、この事実は1906年の北海道炭礦鉄道(旧幌内鉄道)の国有化を経た鉄道院は旧専用線の本線並行部を札幌駅の構内側線として自己財産化したことを示している。おそらくは、1908年に豊平川に接した位置に置かれた陸軍秣本廠札幌派出所(現陸上自衛隊第11旅団苗穂分屯地)への線路引込みを要求され、合わせて同年12月8日に大日本麦酒工場東側に開設の北海道鉄道管理局札幌工場(後の国鉄苗穂工場)への出入場線としての利用を目論んだものであろう。
一方で、北海道炭礦鉄道線は1905年8月1日には小樽(現南小樽)にて(初代の)北海道鉄道線と結ばれて、翌年9月8日からの函館-札幌間直通列車の運転開始など運炭列車に加えての旅客列車の増加からか、国有化後に小樽-岩見沢間の複線化が計画され、1909年12月6日の札幌-野幌間使用開始により、ここは3線の線路が並ぶ区間となったのである。豊平川橋梁の架橋記録から判断すれば、上り線が腹付けの増設線と思われる。

この頃に、増え続ける苗穂地区の貨物需要にその物流拠点を要して、翌1910年5月16日にようやくその先に停車場が設けられ、札幌の隣駅は苗穂となった。その位置、函館桟橋起点289K180Mには前述の専用線や鉄道工場への操車上から札幌から伸びた構内側線に並列して数本の操配線は存在していたものと思われ、本線の上下線間に島式の乗降場が設置された。駅本屋の設置位置は調べ得なかった。
札幌から書いているけれど、これより苗穂駅に関わる記述を数回に分けて続ける。
(この項 苗穂 (函館本線) 1988 に続く - 参考文献はシリーズの最終記事に記載する)

地平時代の札幌は、当然ながら冬には積雪に埋もれた。高架化工事着工はまだ先のことで、札幌客貨車区も健在な頃である。
写真は札幌駅4番ホームの817D<なよろ2号>名寄行き。後部への旭川止まり編成の連結を待っている。

[Data] NikomatFTN+AutoNikkor5cm/F2 1/125sec@f5.6 NeopanSSS Y48filter Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

こんにちは

慣れ親しんだ地名が出てきて 子どものころに勉強した副読本を思い出しました
私の子どもの頃から大学時代まででも、伏篭 雁来、今は違う名の烈々布、豊畑 農本・・・このあたりはずっと谷地でしたし ど田舎でしたね
あいの里とかいってる拓北なんて開拓民も投げだした泥炭地ですからね、どうやっても使い物にならない土地と言われてほんとに荒れた地だったのに・・・今は人口パンパンの宅地になって・・・ 開発ってかつて学習した知識もひっくり返してしまうんだなあと帰省するたび思います 

苗穂あたりは古い開拓時代の札幌の面影が残ってて散策するのが好きでした 
記事 楽しみにしてます(^^)

  • 2013/09/02(月) 08:42:00 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

小学校だったか中学だったか、「わたしたちの札幌市」とか云う(違うかも)副教材を配られて、授業がありました。
札幌は先住民族語でのメム、湧水による水系の豊かなところで、西側のコトニ水系に東側のサッポロ(豊平川)が対雁川へ流れ込んでからの伏籠川水系と。伏籠川の支流の小さな流れ、ナイポが苗穂の語源とか教えられました。
市街地のこれらの流れは無くなってしまったでなく、人工的に流路を変えられながらも多くが暗渠化されたて健在と聞きます。
異なるのは呼び方で、例えば望月寒川はモチキサプ川だった気がします。

北三条通りからの苗穂は、今も昔も札幌の場末の印象です。都心からほんの少しなんですけどね。
駅前に、とうしても繁華街が形成されない。土地の刻印ってヤツでしょうか。

  • 2013/09/02(月) 23:46:56 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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