"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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西の里信号場 (千歳線) 1999

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上野幌-北広島間へ1992年7月1日に置かれた西の里信号場は、懐かしい停車場の復活だった。
千歳線起点側の苗穂-北広島間21.9キロが現在線に切替えられたのは1973年9月9日のことだったから、それはおよそ20年を経ての出来事であった。

1955年までに戦前の輸送水準に復した国鉄は、戦後の経済復興とともに伸長を続ける輸送需要に対して1957年度から第1次5カ年計画を、1961年度から第2次5カ年計画を遂行して輸送力の増強を図るも、道内の幹線線増は石炭輸送の重要線区であった室蘭本線の室蘭から三川までが複線となった他は、函館本線の41.9キロと計画外予算による室本線静狩-小幌信号場間6.9キロが着工されたのみであった。函館/室蘭/千歳線の残る区間の大部分は1965年度を初年度とする第3次長期計画にて線増対象となるのだが、それの完成までの応急的措置としてこの区間には1961年から65年に架けて信号場が相次いで開設された。多くは戦時下の陸運転換政策にて設置され、戦後に廃止されていた箇所の復活だったのだが、この千歳線旧線上に位置した西の里信号場は新設であった。
その1961年1月14日の使用開始から間もない頃、親父に連れられての日曜ドライブで存在を知り(→上野幌-西の里信号場 (千歳線) 1992)、停車列車を選んで車掌に申告すれば降ろしてももらえたので、そこの短い板張りの乗降台から曲線の構内の写真も撮っているけれど、ハーフ判カメラの拙いそれは、とてもお見せ出来る代物ではない。
上野幌から5.2キロ、北広島へ4.3キロのそこは、野幌丘陵の中央部に位置したものの孤立していたのでは無く、付近にはジャガイモ農場の耕作地も広がっていたし、60年代半ばからは周囲で千歳新線建設の土工工事が始められていてブルドーザが唸りを上げていた。構内下り方では本線に隣接して新線路盤が築かれ、20年を経て同名の信号場はその位置に設置された。

新線上の西の里信号場は、千歳飛行場の新旅客ターミナル建物地下への新千歳空港駅開業に際しての、同駅発着快速列車をほぼ20分間隔とする頻発運転に対応して設けられた施設である。その1992年7月1日改正ダイヤでは、主に普通列車の優等列車退避に稼働し、ここで1時間近くを停車する専用貨物列車の設定も在ったのだが、近年では大半の優等列車が130km/h運転となり、高速貨物列車の速度も向上して北広島や上野幌で先行普通列車に追いついてしまい、下り162M、上り482Mの本線(待避線)有効長を持つ施設が半ば遊休化している。適切な投資であったか疑問も残るところだ。
電車線路の支持構造が上下4線を跨ぐ構内は広々として編成列車の撮影には適地なのだが、構内であるだけにどれも停車しているように見えてしまうのが難点ではある。
周囲にフェンスが設置されてしまって以降には、それをクリアしても思った通りの位置には立てぬゆえ訪れていない。
列車は9050列車、隅田川行き。

[Data] NikonF5+AiAFNikkor ED180mm/F2.8D 1/250sec@f4+1/2 Non filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160/0.5EVpush] Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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