"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

山越-八雲 (函館本線) 1970

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この区間の線増は、1965年度を初年度とした「第三次長期計画」にて予算化され、1969年9月26日に複線の使用を開始している。
全区間が海側への腹付け線増であり、その工事で特段に困難で事象は無い。敢えて記せば、函館桟橋起点79K500M付近で平面交差していた国道5号線を、その際に立体交差としている。当時に国道の改良を進めていた建設省函館開発建設部と連動したものである。
平面交差部に隣接した熱田川橋梁を複線路盤のコンクリート橋とし、これに接して上流側に小型のコンクリートケーソンを連続して水路となし、その上部に跨線橋に至る盛土を構築した。

函館本線の森-八雲間での災害は、過去には石倉から野田生に至る区間で生じていた。主には波浪による護岸決壊に、長雨による海岸段丘崖の法面崩落であり、多々不通の記録が在る。近年においては土木技術や管理体制の進展もあってか88年以来発生を見ていない。
代わっては、予想せぬ豪雨による中小河川の計画水量を上回る流下にて運転を抑止する事例が多発するようになっている。それらの計画・設計時と気候が変動しているのだろうか。
野田生手前の野田追川橋梁は、水流による橋台洗掘も生じたと聞く。

この熱田川の国道盛土下の水路も計画を上回る水量に溢水を引き起こし、その急流が函館本線の道床を流失させる事態となっている。道床自体は絶対的に路盤固定される構造物ではなく、これを防止するにはコンクリート道床化が考えられるも、線路を越える水流には運転抑止を避け得ない。現実的には水路の拡張と流路の改修を要して、鉄道側で対処出来るものではなく、函館開発建設部八雲道路事務所ならびに八雲町に早急な行動を望むしか無い。

架設まもない八雲跨線橋からは、遠く山越跨線橋までを見通せたものの、手前を横切る送電線がうるさく、下り方は国道沿いに建物の続いてあまり良いポイントではなかった。それでも、高い位置の取れないこの区間では貴重でもあったのだけれど、近年には例によって背丈を超えるフェンスが設置されてしまい撮影は困難となった。
写真は、4081列車の白石行き。コキ5500を連ねた青函航送の急行貨物列車である。

[Data] NikonFphotomicTN+AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4on Mac.


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