"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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姫川信号場-森 (函館本線) 1983

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この区間に、アジア太平洋戦争末期から2年に満たない期間を存在した信号場があった。森川信号場である。
戦時下の陸運転換施策による列車回数増と沿岸の制海権に制空権を連合軍に奪われるに至って至上命題となった、内地向け1200t石炭列車の運転に際して、経路とされた函館/室蘭線および東北/常磐線・奥羽/羽越/上越線には線路容量を上げる多数の信号場が増設され、道内には16箇所を数えた。信越/北陸線にも一部例がある。

それらの設置位置には、当然ながら国有鉄道建設規程の停車場設置に係わる規定に抵触する勾配区間も含まれ、スゥィッチバック式の停車場とされた事例の他、数カ所では鉄道大臣(1943年11月1日以降運輸通信大臣)の特認を以て通常の行違線構造が採用された。地形上の制約や、或はそれに供なう工費に工期などから石炭定数による長編成列車を収容する着発線や折返線(スゥィッチバック線)の新設の土工を避け、工程を簡略化したものであろう。加えて、スゥィッチバック式では停車に必ず要する退行運転による運転時分延長からの線路容量の低下を嫌ったものとも思われる。これには、同時期にスゥィッチバック式の基本構造から敢えて変更を受けた仁山信号場の例も在る。
但し、非力な蒸気運転の当時のこれには、勾配途上で停車した列車の運転継続に当該勾配と逆傾斜の緩勾配を備えた引上げ線-出発補助線が欠かせぬ設備であった。通称には加速線と呼ばれ、着発線に兼用可能なものの、その有効長は最大組成列車に満たなくとも良い。
この特認を要した停車場設置は、国有鉄道建設規程戦時特例(1944年1月25日運輸通信省令第5号)にて国有鉄道建設規程の例外として規定されるに及んだ。

道内の例で明確に戦時特例と云えるのは、森川信号場とその形態に変更された前述の仁山信号場である。出発補助線を設備しても鳥伏、豊住、北入江の各信号場は10パーミル勾配に位置して、それに準拠したものでは無い。出発補助線自体も戦時構造に特有のものではなく、蒸気運転の勾配区間には多くの例が存在した。
「戦時形信号場」との呼称は、1951年に国鉄が刊行した戦時下陸運の記録である「日本陸運十年史」の当該項目の記述からと思われるのだが、今述べた点に対する誤解や陸運転換にて設置の信号場全てを指すと誤読されている向きもあり、「戦時特例構造の信号場」とでもすべきであった。

森川信号場は、敗戦により不用施設となって1945年12月1日付にて廃止された。
20パーミルを下る23D<北斗3号>の後方中央、背景に見える樹林帯は森川信号場の出発補助線路盤跡に育成したものである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F2.5S 1/250sec@f4 Fuji SC42filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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