"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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初山別 (羽幌線) 1982

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国鉄の保有する気動車が5000両の大台に達したのは、1968年2月14日に67年度本予算計画車の追加として製造されたキハ58 1509-1511の3両の日本車輌名古屋工場からの出場により、この日工場では国鉄による記念式典が挙行された。5000両の中核を成した、このキハ58系列車は1969年5月まで増備が続けられ、その総製造両数は1818両に及んだ。
国鉄はこの系列を以て全国への気動車急行(準急)網の整備を進め、1968年10月の改正はそのピークに違いないが、それは同時に陸上輸送の基幹としての鉄道の終わりの始まりでもあった。
気動車による優等列車網は、一般型形式使用の所謂遜色急行を含めて地方幹線は元より、かなりのルーラル線区にまで及び、道内においても札幌と、或は支庁所在地とを結ぶネットワークが支線区末端まで形成されていた。それの無いのは一握りの線区に過ぎぬ程であった。

羽幌線の優等列車は1961年1月15日より小樽(上り札幌)-築別間に運転を開始した準急<るもい>に始まる。60年10月1日改正ダイヤにてスジだけは引かれたものの、車両の新製出場を待っていたものである。函館本線内は<かむい>への併結にてキハ22の1両が運用された。支線区直通列車としては早期の運転開始であり、羽幌線沿線からの道央への用務客の利便を図っての設定は、日本海岸業務都市である留萌に炭礦で活況を呈していた羽幌地区の重要視されたものであろう。
翌62年5月1日には、これを増毛着発に改め、羽幌線内には幌延-築別間を延長した<はぼろ>が種別を急行列車として設定され、函館本線内を同時に設定の名寄回り札幌-遠軽間<紋別>と併結した。これは、札幌-網走間<大雪>の加わった時期も含めて、86年11月1日改正での列車廃止まで続いた。2両に増結された編成の1両には配置の始まったばかりのキハ27が使われたのは、急行列車としての面目だろうが、一方のキハ22の置替は66年10月改正を待たねばならなかった。
編成が3両に増強されるのは80年10月1日改正でのことで、道路網の整備も終わり鉄道への旅客誘発効果の期待出来ない時期であり、それは道内幹線急行の特急格上げや廃止による捻出車の活用とも云え、遅きに失した感がある。ともあれ、66年10月改正から併結していた留萠回転車を延長運転した多客期の最大4両組成も見られたのは、この頃である。
この<はぼろ>に限らぬが、乗客専務の車掌に車内販売の係員が乗車したその姿は、キハ56/27気動車末期の状況やルーラル線区最後の日々からは想像もつかない程の、堂々の優等列車であった。
写真は、羽幌線撮影の核心とも云えた初山別陸橋での4802D<はぼろ>。北の低い朝日が海岸段丘の谷を通してステージライトになる。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f4 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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コメント

初山別陸橋

こんばんは。
初山別陸橋、もう3年位前に旧羽幌線沿いをドライブした際、残骸が未だ残っていましたね。
朽ちてはいても異様な存在感がありました。
健在なりし日に一度撮ってみたかったです。北の海原の濃紺が見えるようですね。

  • 2013/08/28(水) 22:04:08 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 初山別陸橋

こんばんは。

最近には、それも取り払われて整地されたと聞き及びます。
幾度か通ったのに、いつも段丘に登るばかりで、
初山別漁港側から陸橋と分かる全景カットは撮らず仕舞いでした。
それが少しばかり心残りです。

  • 2013/08/29(木) 01:03:51 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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