"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

浜小清水 (釧網本線) 1970

hama_koshimizu_02-Edit.jpg

夏の太陽は知床から昇ることを、この時初めて知った。
札幌から斜里まで直通していた臨時急行<大雪52号>(網走-斜里間は普通列車)を浜小清水に降りた時のことである。北緯44度の北辺ゆえ8時近い時刻でも低い高度になおさらの感があった。

この駅は、1925年11月10日に網走本線の北浜から斜里までの延長に際し、その途中駅として古樋の駅名にて開業している。この区間は、北海道鉄道敷設法(1896年法律第93号)の第二条に規定の「石狩國旭川ヨリ十勝國十勝太及釧路國厚岸ヲ經テ北見國網走ニ至ル鐵道」の一部として、当時に根室本線の別保信号所(現東釧路)で分岐して建設中であった釧網線と結んで横断線とすることが計画されており、その経由地を巡って斜里村と1919年にそこから分村した小清水村が争った経緯が在る。結局のところ、それは斜里経由とされて小清水村内を通過はしたものの中心市街地を遥かに離れた海岸部の通過となり、そこに開駅したのが、この古樋と止別なのだった。
本村の意地が優ったと云うことなのかも知れないが、現在の斜里回りはそこへ大きく迂回する線形となっており、鉄道側の当初計画は建設距離も短い小清水経由での札鶴(現札弦)到達であったろう。
これに対して、小清水へは1960年6月3日に北見鉄道が止別から開通するが僅か9年の短命に終わり、1941年に北海道製糖が甜菜輸送を主目的に敷設した古樋-小清水-水上間の小清水軌道も1952年には道路輸送への転換にて廃止されている。
けれど、その後もここは急行列車の停まる小清水町の入口であり、駅前に農業倉庫の建ち並ぶ農産物の積出駅だったことに違いは無く、その側線は貨車で埋められていたのである。この頃にホームで撮ったスナップには原生花園から回遊したカニ族達の姿も多く見て取れる。

「道の駅」なる言葉が聞かれ始めた頃、それを高速都市間バスの停留所の名称と思っていた。「駅」と聞いて、交通機関の発着点を思い浮かべるのは鉄道屋とすれば当然である。
今、浜小清水はその「駅」を名乗る物産販売所に呑み込まれた異様な光景となっている。本家としては何と肩身の狭いことであろうか。

<大雪52号>の到着から632列車までは20分あまりしか無い。網走方の構内外れまで急いで振り返れば、低い太陽光を吸い込むような爽快な青空があった。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/125sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

Website "カメラ 万年筆" Updateのお知らせ (2013-07-24)

いつもご訪問ありがとうございます。
Gallery に、釧網本線での撮影を集めた "Coast to Coast 道東の横断鉄道" を公開しました。少しですが、未公開のカットを含んでいます。これもシリーズで続く予定です。
Reference のペイジには、函館/室蘭本線の線増に関わる記事を公開しました。何れも、ブログで分散していた記事を統合・加筆したものです。
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コメント

こんにちは

先日のSLオホーツク運行時に
浜小清水駅にとどまってお昼ご飯を食べ、私はフレトイの丘からSLも撮ってきました

駅 昔の影も形もありませんですね
せめて 歴史の証言者である昔の駅舎の名残を伝えるようなカンバンとかなんか
あってもいいようなモノを・・・ 

なあんて そういうものと そういうものを求めるヒトは必要としていないんでしょうね 
道の駅のほうがヒトはたくさん来るのでしょう

北浜みたいに建物は古いままでも 観光客の中国語が飛び交い 
中国語の看板まで設置されてるのなんかもっと嫌かも・・・どっちどっちかもしれませんが(汗)

  • 2013/07/25(木) 11:05:44 |
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  • Jam #-
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Re: タイトルなし

こんばんは。

はい、ブログ拝見させて頂いてました。
この時は丘上まで登る余裕はなかったのですが、
あの丘には展望台が設置されたのですね。

どうしても「道の駅」とやらには馴染めません。
鉄道駅ばかりでなく、「駅逓」の昔に遡っても
「道の駅」には「駅」機能が見当たりません。
飲食場に売店なら、ぜひそう名乗って欲しいものです。

  • 2013/07/26(金) 02:41:19 |
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どうしても

ここは大木茂さんの「あの一枚」を意識
させられてしまう場所。
あの丘に登ると、どうしてもの場所。
さすがの一枚ですが、罪作りともいえます。

  • 2013/07/26(金) 22:06:01 |
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  • マイオ #pcU4xDNY
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Re: どうしても

このカットは、「あの一枚」の発表される前のこと。
71年の写真集発売後には、冬に往きたくなったのは云うまでもありません。

  • 2013/07/27(土) 02:12:49 |
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私も

私もつい大木さんの1枚を思い出してしまいます。
厳冬の夜を浜小清水の待合室で過ごしてモノにしたとの事、
駅が駅らしかったから、そんなファイトが湧いたものと思います。

貨車の列は「レ」でしょうか。オホーツクならではの風景です。

  • 2013/07/28(日) 13:39:52 |
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  • 風太郎 #ORZvdv76
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Re: 私も

こんばんは。

プローモウションに使われたこともあって、印象深い一枚ですよね。
当時の釧網本線は深夜帯にも列車設定が在って、
ここは併合閉塞区間ともならずに当務駅長が詰めていたのですね。
この頃、客扱いの無い小駅でも、汽車を撮りに来た、と云えば、
待合室で寝かせてくれたものでした。

貨車列は、粉粒体輸送用のホッパ車です。おそらくは乾燥小麦の出荷用かと。

  • 2013/07/28(日) 23:54:28 |
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追記です。
手前3両がホッパ車、あとは有蓋車-ワム80000と思われます。

  • 2013/07/28(日) 23:57:41 |
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