"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

白樺 (深名線) 1981

shirakaba_03-Edit.jpg

線路伝いにしか到達出来ない地点と云うのは幾らでもあって、ずいぶんと線路歩きをした。
鉄道写真屋ばかりでなく、1970年代あたりまでなら架橋など道路の未整備にて集落間を結ぶのは鉄道だけと云った地域も多く、住民たちもまた歩いていた。そこはあくまで線路だから歩き難いことにはこの上無く、特に枕木の間隔に歩幅を合わせざるを得ないことには閉口したものだった。なので、これにはそれの大きい丙線、中でも簡易線が向いていた。けれど、炎天下のむせ返るような枕木防腐剤の匂いも懐かしく、陽炎の道は至福の空間としても記憶に鮮やかである。
これも積雪期の様相は一変し、枕木間隔に囚われないそこは通常の雪道と変わらなくなる。度重なる除雪車運行で圧縮されれば、靴の沈み込むことのない快適な歩行路にさえ変貌したものだった。
冬季の深名線は、母子里から蕗ノ台付近に通じていた道道688号名寄遠別線とは名ばかりの砂利道が閉ざされてしまうから線路を辿るほかなかった。

良く知られるように、深名線は沿革の異なる線区を朱鞠内で接続したものである。深川からの南部区間は沿線有力者が政治力により実現させた請願線で、第一次世界大戦の影響はあったものの1911年の初請願から20年余りで朱鞠内に達した。一方の北部区間は鉄道敷設法の別表第143号に「天鹽國名寄ヨリ石狩國雨龍ヲ經テ天鹽國羽幌ニ至ル鐵道」と規定されながら、その時点でも南部区間とは無関係に放置されていたのである。この内「天鹽國名寄ヨリ石狩國雨龍」区間の着工は、1928年設立の雨竜電力株式会社による雨竜川の電源開発計画に伴うもので、工事資材運搬ばかりでなく広大なダム堪水域および周辺からの木材搬出線と目されたゆえであり、それの無ければ戦後に名羽線として着工の「石狩國雨龍ヲ經テ天鹽國羽幌」区間に連鎖して未成に終わった可能性も高い。
中間に設けられた宇津内、蕗ノ台、白樺の各駅は木材積出拠点であり、宇津内には第二堰堤工事の資材搬入施設も設けられた。工事の完了し、駅の在るゆえの開拓入植も失敗に終われば存在意義を失うのは当然の帰結ではある。

この日は冬期休止中の白樺駅を越えて歩き、泥川手前の切通しの斜面を登るつもりだったのだが、雪が深くてこれを断念し、いつものように湖水側に出た。泥川の運んだ土砂の堆積した位置に渇水のまま降雪のあっただろうから、足元は氷ではないと思われた。
列車は945D、名寄行き。

=参考資料=
北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981
雨龍川水力発電工事概要(1938年7月17日土木学会第二回年次学術講演資料) : 松野辰治
新幌加内町史 : 幌加内町 2008年

[Data] NikonF3HP+AiNikkor50mm/f1.4S 1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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コメント

雪の深名線

こんばんは。

雪の深名線、ついぞ見る事はありませんでした。
豪雪、高い雪の壁のイメージが強く、走行写真をモノにするのは厳しいだろうという先入観と、
それこそ人跡まばらになるであろう彼の地への、ある種の恐怖が遠ざけたともいえます。

こういうお写真を拝見すると、勇気を奮い起こして絶対の孤独を体験するのも良かったかと後悔。

  • 2013/08/22(木) 23:48:22 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 雪の深名線

こんばんは。

云われてみれば確かにそのとおりで、
この時、母子里の集落を除けば10キロ四方に誰もいなかったでしょうけれど、
そんなこと考えもしなかったと思います。
何が在っても、鉄道の線路がそこにあるので、辿りさえすれば人里に往き着ける訳ですから。

立場はあまりにかけ離れますが、
ここへのかつての入植者達にとっても線路は拠り所だったに違い在りませんね。
鉄道とは、かくも偉大な存在。

  • 2013/08/23(金) 01:09:45 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

深名線

私も「積雪期の深名線」にある種の恐怖感を抱いていました。
「雪の壁をよじ登って線路端から撮影するしかない」という伝説?が
幅を利かせ、結局行かず終い。
このお写真を拝見して、どうやって新雪の壁を越えたのだろうという素朴な疑問がまず浮かびました。

  • 2013/08/23(金) 15:01:18 |
  • URL |
  • マイオ #pcU4xDNY
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Re: 深名線

度重なるラッセル運行で線路両側に雪壁の出来てしまうのは、米坂線で経験済みでした。
それは、雪壁と云うより氷の壁でして、アイゼン噛ませて無理矢理登れば良かったのですが、
そこからしか撮れないのが困りもので、結局は壁の出来ない橋梁を選ぶことになります。
橋梁脇からなら雪面へ出れた訳です。
けれど、深名線の雪はパウダースノウで、もがくばかりで斜面は登れませんでした。

  • 2013/08/24(土) 00:46:55 |
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  • Wonder+Graphics #-
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