"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

七飯 (函館本線) 1971

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前日の記事 七飯 (函館本線) 2012 からの続きである。

この戦前の計画は、七飯停車場構内にて分岐し、当時には畑作地の広がるばかりだった現本町地区をほぼ直線で通過して藤城地区の斜面に取り付き、七飯方から第一/第二藤城、第一/第二観音に久根別の5本トンネルを経て峠下地区上方山腹に至るものであった。ここでは極めて自然な経路選定なのだが、ここに鉄道を開業した北海道鉄道(初代)は、工期・工費から尾根筋への隧道の掘削を避け、急勾配を承知でそれを穿つこと無く等高線を交わせる木地挽山の裾野斜面を選んだものだろう。19世紀初頭のエンジニアリングとすれば理に叶ったと云えよう。

これらトンネル群と、七飯での國道4号(大沼街道-現国道5号線)との交差部から久根別トンネル出口方までの路盤工事をほぼ終えたところで敗戦を迎えてしまい、工事は中断されたのである。
着工時点では開通の急がれたためか、既設線への接続は暫定的に峠下トンネル手前とされ、後の新峠下トンネルは含まれていない。それは戦後の峠下トンネルの変状をともなう老朽化による代替として着手され、工事中断中の新線路盤延長上に貫通して、1956年12月15日に既設線のこれへの経路変更が行われた。これ以降、この別線は七飯からの市街地通過区間を残すのみにて、ほぼ完成していたことになる。
なお、この未着工区間の設計の詳細は明らかに出来なかった。工期から七飯構内での分岐は単純な右分岐、路盤構造は戦争末期の資材不足から盛土構造だったと推定する。

以来20年近くを山中に眠った施設は前回に記述のような背景からの線増計画に活用が決まり、1963年11月に工事が再開されたのである。
その際に、未着工であった七飯から国道5号線交差部までは、停車場内での平面交差回避と、都市計画で住居地区とされた本町地区を迂回する設計変更がなされ、ここの鉄道景観を決定付けることになった延長913メートルに及ぶ高架橋が出現した。工事用側道を含めても買収用地幅を最小とする設計の結果と思われる。
余談になるが、この変更により放棄された路盤用地跡が、桜町2丁目の国道5号線沿いの洋菓子店ピーターパン横から町営桜町団地下へと続く現線路の外周を巻く道路、町道桜町8号線の一部に転用されて残っている。とりもなおさず、それは高架橋の俯瞰撮影に通った道であり、この事実を知った時には些か驚きもしたものだった。
なお、そこから国道を越えての七飯方へ100メートルばかりも着工されたようだが、こちらの痕跡は消滅している。

新線は、桟橋起点23キロ付近にて熊の湯信号場からの既設線に替えて新峠下トンネルに繋がり、1962年7月25日に開通していた軍川(現大沼)までの線増線と併せ、七飯-軍川間の下り列車専用線として1966年9月30日に運用を開始した。これにて、戦時下に開業していた函館-桔梗間、大沼-森間の砂原回り線、1962年9月4日に使用開始の桔梗-七飯間と合わせて函館-森間線増が完了した。

高架橋を登る列車は1191列車、五稜郭操車場からの長万部行き。
この間に残存していた貨物扱い駅で貨車を解結する区間貨物列車である。鹿部での扱いのため砂原線を下る唯一の貨物列車でもあった。
2003年の確認では、この樹木は大きく育って現存していた。

=参考文献・資料= (前回記事と共通)
北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981
札幌工事局七十年史 : 国鉄札幌工事局 1977
新日本鉄道史 : 川上幸義 鉄道図書刊行会 1968
七飯町史 : 七飯町編 1976
七飯町都市計画課・土木課へのレファレンス依頼による回答

[Data] NikomatFT+P-AutoNikkor50mm/F2 1/250@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.

Website "カメラ 万年筆" Updateのお知らせ (2013-07-07)

このブログからの記事移植の"Monochromeの北海道 1966-1996"の1973年分が終わりました。写真は全カットをリマスターしています。
鉄道の技術的な記事をまとめる Reference のペイジを新設しました。あまり鉄道誌などでは取り上げられない事項を記述するつもりです。ただ、今回のUpdateは本ブログで既出のものです。
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コメント

初めまして。函館のPostonと申します。
藤城線の工事に関する詳細な記載に感心するばかりです。
とあるサイトで藤城線は戦時中に着工されたとの記述を見つけ、開通までのいきさつを調べるため今年3月に七飯町歴史館で文献を調査してきました。
歴史館の初代館長が書いた手記を見せていただくと、少年時代に館長が目撃した生々しい記述に心が痛みました。
戦時中ゆえ、朝鮮人捕虜による強制労働で工事が行われたこと。ぼろぼろの衣服で現場監督にムチで叩かれる捕虜。終戦と同時に現場監督が逃げ出し、自警団員が捕虜に殴打される様子・・・。
現在スーパー北斗が猛スピードで突っ走るその路盤には実はこのような暗い歴史がある。それを忘れてはいけないと思い知らされました。

  • 2013/07/09(火) 20:05:34 |
  • URL |
  • Poston #QcpVYXAI
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こちらこそ、ご訪問ありがとうございます。

この藤城線建設においても半島より強制連行した朝鮮人の使役のあったことは、
承知しておりましたが、敢えてここには記しませんでした。
いずれ、Websiteの方にまとめる際に加筆するつもりです。
七飯町では、他にも無沢峠を越えていた旧道のことや、仁山信号場の変遷など調べたいことが多々在りまして、
歴史館の収蔵資料も見てみたいとは前々から思いつつも、実現せずです。

今後とも、よろしくお願い申し上げます

  • 2013/07/09(火) 23:34:56 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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