"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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門静-厚岸 (根室本線) 1983

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当の漁師達がそう呼んでいるので、ここに番屋と書いて来ているけれど、業務上の「詰所」を指しての本来意味から発した浜番屋は最早一部に残るのみだろう。
漁労の場所近くの海辺に建てられた漁師達の共同作業場兼漁具置場であり、待機場所でもあり、期間の長短はあれ宿泊をともなう生活の機能も併せ持っていた施設が原初形態と思う。今、知床半島の奥地の小さな浜で漁師達がひと夏の間を過ごすような番屋がそれである。
漁業権を与えられた商業資本がそれを設置して漁労者を隷属させた戦前期までは、その業務遂行の拠点でもあったのだが、水産業協同組合法(1948年12月15日法律第242号)や漁業法(1949年12月15日法律第267号-戦前の通称明治漁業法に対して新漁業法と云う)の施行された戦後においては、漁労形態や社会情勢の変化により居住・宿泊機能が抜け落ち、統制や共同作業に集会機能は漁協の本所支所事務所に集約され、多くても数人による共同使用の作業場・漁具収納庫となったものだろう。それでも、慣れ親しんだ「番屋」の名のみが残ったのである。ただし、年配の漁労者は、港の漁協を以て「番屋」と呼ぶ者もいた。
今、浜に建ち並ぶこれらを外部の者が、それを使わずに呼称するとすれば、漁師小屋とでもするしかあるまい。

いずれも簡易な木造の汐焼けにくすんだ姿に惹かれて、これを画角に鉄道を撮っていた時期がある。今でも海辺にそれを見かければ、ついつい近づいて見入ってしまう。
海浜に建っていれば、そこには船を引揚げられるような設備も付帯して、それの浜に並ぶのは壮観な眺めでもあった。
厚岸湾沿いにも、1980年代までは門静へ向かう白浜や厚岸大橋を渡った奔渡側の漁港地区に集中していて、ここへ通う理由のひとつになっていた。その背後のなだらかな斜面の海岸段丘上の俯瞰位置も得られたからでもある。
ここでは、漁港への水揚げ施設や岸壁、防波堤設置等の整備が進んだ現在でも白浜地区海岸の浜番屋は健在だが、道内全般を見れば、近年の海辺の集落毎に第一種漁港と区分の地元利用のみに供される漁港整備の進展にて、作業場もその周辺に位置するようになり、かつての建ち並ぶ浜番屋の景観は失われつつ在る。

列車は234D、釧路行き。
道東の冬の光線は、8時を過ぎてもこんなに低い。

[Data] NikonF3P+AiNikkorED180mm/F2.8S 1/250sec@f8 Fuji SC42 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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