"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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生田原 (石北本線) 1971

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北見から普通列車となり、C58に牽かれて網走を目指した517-1527列車<大雪6号>は、誌上やWeb上で見かけるし、ここの記事でも取り上げている。
けれど、遠軽からのD51牽引の姿や、まして9600の補機を従えて常紋を往くカットには、たまたまかも知れないがお目にかかったことはなく、かく言う本人も撮っていない。
それは生田原を4時46分だったから夏の時期であれば十分に撮れたはずである。近年に本州連絡の下り寝台特急を海峡線内や函館近郊で捉えるならば、午前3時には行動を開始すると云うのに、この当時にそれを考えもしなかったのが不思議でならない。深山の常紋信号場での夜明かしを避けたのだろうか。とは云え、そこは当時に有人の停車場だったし、トンネルの徒歩通過に内部照明を点灯してもくれた時代でもある。
結局のところ、昼間に被写体は豊富だったから、夜行急行は宿代わりであって撮るものではないとの認識だったのだろう。実に惜しいことをしたものと思う。

この頃の夜行<大雪>は、マ級-1両/ス級-9両/オ級-2両の12両組成で列車重量は500tを超えており、当然ながら常紋越えには補機を要していた。上下とも連結区間は生田原-留辺蘂間であった。
それは、機関車が本務機-DD51に補機-DE10の組合せに変わってからも続いたのだが、いつまで施行された仕業なのか、手元に資料が無い。運行図表上には客車編成が減車も伴って14系に置替えられ重量の軽くなった83年度以降にも認められ、85年3月改正でのDD51の補機による(上川-)遠軽-北見間の通し運用化を経て86年11月改正ダイヤで消えている。しかし、85年の秋に乗車した際に補機の使用されないのを目撃しており、所定編成が7両となったこの春の改正以降は多客期などでの増結以外には省略されていたものと推定する。

写真は、これしか手元に無い<大雪6号>の補機を務める9600である。
生田原でこの列車を降りて補機の連結を眺め、その出発をスナップしたものだ。長い編成に後部は遥かホームを外れて停車した。

[Data] NikonF+P-AutoNikkor135mm/F2.8 1/250sec@f4 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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