"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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七飯-大沼 (函館本線) 1973

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七飯で分岐する下り列車専用に勾配を緩和した増設線、通称-藤城線に位置する新峠下トンネルは、この線増線の開通に先駆けて1956年12月15日より使用を開始している。仁山回りの既設線上の峠下トンネルが経年による覆工剥落や変状を生じていたため防災工事として先行し、この日函館桟橋起点22K700M付近からの3.1キロを新峠下トンネルを含む新線に切替えたものである。

この時点で、新設区間が単線運転の函館本線となり、その線上に距離標が移設されたのだが、注目すべきは起点23K000Mの甲号標である。その建植位置は、新峠下トンネル手前の切通し区間となっていた。
その後、上記防災工事にて放棄された旧峠下トンネルには曲線改良をともなう改築工事が行われ、新線へ切替えた22K700M地点に熊の湯信号場を置いて、軍川との間でこの復活旧線を上り線とする複線運転が1962年7月25日より開始された。
これにより下り線となった新峠下トンネル経由線は、予ての計画どおり1966年9月30日に藤城線が開通するとその一部となり、同日を以て熊の湯信号場から藤城線との接続点までは廃止されたのだが、どうしたことか、その地点より軍川寄りに位置した前記の23K000M甲号標は、そのまま存置されたのである。勾配緩和の迂回によりやや距離の伸びた藤城線上にも久根別トンネル出口方に23K000M甲号標は存在し、同線上には2箇所の同距離標が併存する事態となっていた。このような事例を他には知らない。

写真は、藤城線の久根別トンネルを抜けた1191列車。五稜郭操車場からの砂原回り長万部行き区間貨物列車である。
手前側に藤城線の23K000M甲号標が見える。対して、存置された熊の湯信号場経由線上の同標は、七飯-大沼 (函館本線) 1981 に見て取れる。その間350メートル程の間隔である。それを84年頃までは車窓に確認した覚えがあり、少なくとも20年程に渡ってこの状態が続いていたことになる。その事由はわからない。付記すれば、この23K000M甲号標をはさんで藤城線本来の同標基準の23K300Mと400Mの丙号標が建植されているのだが、その間隔はせいぜい50メートルである。これは現在も変わっておらず、どうにも謎の多い地点である。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor50mm/F1.4 1/500sec@f4 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCS4 on Mac.
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