"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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中越 (石北本線) 1971

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まだ子供時分の頃だ。何処とも知れない漆黒の闇を往く夜行列車の車窓に、やがて通り過ぎる駅の灯りには安堵したものだった。
ほの暗い駅名標を確認し、列車を見送る職員の姿を認めれば頼もしさすら覚えた。

通票閉塞は勿論、連査閉塞や連動閉塞であれ現場での運転扱いを要したから、深夜でも列車設定があれば本屋には煌煌と電燈が点され、当務駅長が列車との応接に忙しかった。ついこの間までの当たり前の鉄道風景である。小駅においても家族と共にそこに暮らす、不眠不休の職場は基幹輸送機関としての鉄道を印象付ける光景でもあった。
まして、そこが峠越えを控えた深山の駅ともなれば、灯りに浮かび上がる構内に補機解結の構内掛りもまた、黙々と立ち働いていた。

札幌への移動に乗った518列車<大雪6号>はD51に牽かれて夜半の遠軽を出ると、やがて白滝に停まりここで後部に補機DD51を連結する。
この頃、旭川区には同機 6両の配置があり、宗谷本線塩狩越えの全てとここ北見峠の補機の大半を無煙化していた。それらはボンネット上部に砂箱を増設し蒸気暖房を使用停止した補機専用仕様機だった。本務機に先駆けてのそれは、蒸機の正向定位による煩雑な転向を避け、合わせて地上要員の削減を図ったものだろう。
ここでの補機運用は、中越-白滝間が基本で下り後位、上り前位を定位としていた。勿論例外も在り、この518もそのひとつであった。中越での解放時間短縮と、そのまま下り方に引上げて517列車<大雪6号>を待ち、それの前位補機にて遠軽まで戻る運用からの措置だったのだろう。

1分程の停車で補機との連結器とブレーキ管の切られた列車は、駅長のカンテラの合図にゆっくりと動き出す。
空いた車内に窓を開け身を乗り出せば、サミットからの惰行運転で冷えたシリンダに盛んに切られるドレインが見えた。本務機もDD51に置替られる二ヶ月程前の夜である。

[Data] NikonF photomicFTN+P-AutoNikkor5cm/F2 1/15sec@f2 Non filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
※ このカットのWebsite"カメラ 万年筆" のGalleryにて既出をご容赦下さい。
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