"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安 (函館本線) 1978

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クッチャン原野への入植は1892年の47戸に始まると記録されている。以来10年程の間に、ここには村が開かれ戸長役場も置かれて、駅逓に郵便局も設置され原野の各所に尋常小学校の開設も進んだとあるから、入植人口も順調に増加したものであろう。現在位置に小規模ながら市街地も形成されていた様子である。

北海道鉄道(初代)による倶知安駅は歌棄(現熱郛)-小沢間開業にともない、その市街地の西側クトサン川沿いに1904年10月15日に開駅した。なお、北海道鉄道線はこれにて函館-小樽中央(現小樽)間が全通している。
ここには黒松内に続いて機関庫が設けられ、山岳線用マレー式B+B型タンク機関車D1形(11号機関車)などの配属されたものと思う。この機関庫は国有化後の1913年6月2日付にて駅から独立した現業機関-倶知安機関庫(後に機関区)となった。運転区所としては、客車配置の小樽築港客貨車区倶知安支区に駅から分離の倶知安車掌区も置かれて、長万部-小樽間の運転上の拠点化が進められたのだった。こればかりでなく、ここへは、保線区に信号通信区、建築区、電務区などの現業機関の出先に、宿泊所や物資部の配給所なども置かれることとなった。山線区間のほぼ中間に位置する地理的条件に加えて、それに従事する大量の職員を受け入れるだけの都市機能も、既に備えていた訳である。
駅の貨物扱いも多かった当時には駅の拡張も進められ、広大な構内を擁するまでになっていたのである。

写真には、ここの拠点機能を維持していた、その末期の構内全景が見える。
左端の機関区には機関車の配置は無くなっていたけれど、キハ22の10両が居て岩内線と胆振線に運用を持っていたし、奥の客貨車支区の庫には機関区に常駐のスエ30が収められていた。右の貨物積卸線には停泊車の姿があり、コンテナも積み上げられている。但し、これは日本通運のデポに利用されたもので、コンテナ貨物の扱いが在ったのではない。
胆振線の本線に多数の側線も健在であるし、夜間にも入換えの有る構内は照明に煌煌と照らし出されるのだった。
出発して往くのは、荷42列車函館行き。

今、構内西側は、駐泊庫として使用のかつての客車庫を残して建ち並んでいた鉄道官舎も全て取り払われ、スポーツ施設に公園と化した。駅本屋側の官舎も無くなり貨物施設跡ともども駐車場に転用の空間が目立つ。持て余し気味の二階建て本屋は、1960年7月の改築に際して、ここに在った多くの現業機関事務所を収容するものであった。

[Data] NikonF2A+AiNikkor50mm/F1.4 1/8sec.@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

Website "カメラ 万年筆" Updateのお知らせ (2013-08-27)

このBlog "Monochromeの北海道 1966-1996" からの移植の1978年分が終わりました。

Reference の陸運転換にかかわる記事を「戦時下の陸運転換と函館/室蘭本線の輸送力増強」と改題して、内容を全面的に書き換えています。
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