"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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端野 (石北本線) 1973

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1973年秋の二度の道内行きは、スケジュールの立てようのない旅になった。
倶知安機関区 (函館本線) 1973 の記事にも書いたけれど、「マル生運動」の顛末とその後の長引く混乱に対する引責による、9月23日の磯崎総裁辞任に意気上がる全動労が合理化阻止の順法闘争を、そして処分覚悟の運転区所を指定した波状ストを展開していたからである。遅延しながらも長距離の優等列車は走っていたものの、普通列車や貨物には少なからず運休や運用変更などの影響が現れていた。
73年当時だから、二日先は読めぬ旅のターゲットは勿論蒸機である。まだ道央から道北道東の各線区にその姿が見られた頃だが、支線区の貨物列車は運休し本線系でも間引き運転が常態で、必然的に旅客列車を牽いていた室蘭本線と宗谷本線、石北本線系統を夜行急行で行き来することにはなった。それでも、区間運休なども生じていて駅で鉄道電話を借りては情報を仕入れ、撮れそうなところへ移動する毎日だった。

この日も釧網本線の網走-斜里間が平常運行との情報に<大雪6号>で網走へ向う折り、長時間停車の北見にて網走-北見間で区間運休と聞いていた522列車が運転と知って、それを撮ると決めたのだけれど、1527列車とは美幌交換とあって緋牛内への小さな峠越えとは行かずに、ここ端野に降りたのである。
降りてみれば、駅前に商店のひとつも無く、石造りに煉瓦造りの農業倉庫群の建ち並ぶ様に農業地帯の集散駅と知るのだった。駅本屋旭川方の貨物扱線にも下り乗降場向こうの側線にも貨車が溢れんばかりに留置されていたのは、運転の滞っていたこともあるだろうが、自動車輸送に浸食されつつあったとは云え農産物出荷に鉄道が活用されていた時代の証と取れる。

平坦区間だから発車して速度の乗らない内でないと煙は期待出来ない。上り方の構内外れで見つけた小さな踏切で列車を待ったのだった。今は、北見市街地外縁に呑み込まれて、この1キロ程先に愛し野駅がある。
遮断棹はもちろん警報機さえ無い第四種踏切を渡って往くのは、おそらく加工場にでも出勤する近所の人だろう。その細道を辿った先の車道(現道道1024号線)を駅方向に戻れば、それの道沿い、倉庫群を迂回した外側に市街地が続いていた。確かに貨物優先の駅だったのである。

[Data] NikonF photomicFTN+P-Auto Nikkor50mm/F2 1/250sec@f5.6 Y52filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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