"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

仁山信号場-大沼 '旧小沼信号場跡' (函館本線) 1989

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小沼信号場はアジア太平洋戦争末期の1943年9月30日に開設され、僅か5年足らずの1948年7月1日付にて廃止されている。
その位置は仁山信号場から3.7キロ/軍川へ2.1キロと記され、函館桟橋起点25K160M付近となる。
以前の 仁山信号場-大沼 (函館本線) 1983 の記事で、1903年の本郷(現渡島大野)-森間開通時からの峠下隧道出口付近に構内が所在と推定したのだが、その後に1948年4月に米軍の撮影した空中写真を精査すると、峠下隧道出口に続いて構内らしき用地と信号場関連と思しき建築物が確認出来た。やはり、ここのレヴェルから4パーミルの続く延長800メートル程の区間に存在したと見て良さそうである。
但し、ここの現在線は峠下トンネルの1962年の改築時に曲線改良も合わせて行われたとの情報もあり、現状線形に待避線が並列していたとは判断出来ない。当時に現下り線(藤城回り線)は存在せず現上り線が湖水に接していた。先の空中写真でも確かに湾曲した湖岸線に沿う曲線も確認出来るが、それが現在の山側へ膨らんだ曲線であるかは解らない。函館市立図書館の所蔵する絵葉書に湖水の近かった様子が伺える。
以前に、新峠下トンネル経由の新線開通直後の、それと軍川方既設線との接続地点(起点25K754M)付近から撮影したと思われる写真を見ているのだが、そこでの休止した峠下トンネルへの既設線は直線的に盛土を上っていたように記憶している。

写真は前記記事と同一位置からの画角なのだが、変化も在る。ここで始まっていた国道5号線函館新道工事に関連して下り線湖水側の植生が取り払われ地面が露出している。そこは明らかに人為的に傾斜地盤を掘下げての整地跡と見て取れ、上記空中写真での建築物位置とも一致する。但し、ここでは後に現下り線路盤構築も行われて信号場設置時の整地と断定は出来ない。
また、画角右の樹木に覆われた部分には旧道道の築堤まで平坦な用地広がっていた。それは信号場構内に違いないと思われる。
なお、これの開設当時に道路は通じておらず、建設資材から物資輸送に至る全ては鉄道に依ったものであろう。

離合する列車は、4090と3053列車。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/250sec@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR4 on Mac.
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