"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

大沼 (函館本線) 1989

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北海道鉄道は、1903年6月28日の本郷(現渡島大野)から森までの延長に際して、峠下隧道を抜けての小沼岸の区間でそれの陥入部を湖中に築堤を構築し通過していた。その状況は、当時に制作された幾つかの絵葉書に見て取れる。(一例として、函館市図書館の収蔵する「北海道公園大沼の景」)
以前に、仁山信号場-大沼 (函館本線) 1983 の記事で、この区間もセバットと解説した絵葉書の存在を指摘し、それを些か疑問と記述した。(→絵葉書「車窓に水郷の美を眺むるセバットの景観」)
その後に七飯町や函館市の関係機関に問い合わせると、断定は出来ないものの、やはり当該品制作側の誤認が濃厚である。Web上で検索可能な限りで調べれば、小沼-大沼間の接続水路を以てセバット(迫渡)としたものが多数見つかった。

写真は、現代の当該区間を往く5011D<北斗11号>。
ここには、鉄道の複線化以降の1960年代後半に至り、その盛土築堤をさらに拡幅する形で道路が開かれた。現在の道道338号大沼停車場線である。戦前からのこれの旧道は尾根筋をつなぐ山越えの道で、前記絵葉書の右端に見える斜面の上部を通っていた。(セバットと誤認のものには、その旧道も見えている)
この時には、廃道から20年程度なら、それの痕跡部にでも到達して俯瞰の出来ぬものか、と斜面を登ったのだけれど、例によって背丈を超える薮に阻まれて断念したのだった。戦前の時代だろうが、そこからの俯瞰も絵葉書に残る。(→絵葉書「(北海道水郷名所) 小沼を望む」)

同じく仁山信号場-大沼 (函館本線) 1983の記事で、新峠下トンネル経由の新線と既設線との接続地点についても考察した。これも、その後に「札幌工事局70年史」(国鉄札幌工事局 1977)を閲覧する機会を得たので、重複するけれども言及する。
本記事の写真で<北斗>の写し止められた位置(先頭部は函館桟橋起点26K200Mにある)は、1903年6月28日に開業以来移動していない既設線である。これは1956年12月15日まで後方にて10パーミルで登っている現上り線に繋がっていたのである。同日、熊の湯信号場からここまでの3.1キロに使用を開始した新峠下トンネル経由の新設線は、列車後方現上り線が左に転回する地点の起点25K754Mにて(工事の実際ではやや手前の25K800M付近)既設線に接続とした。それは、現R500曲線のかつての緩和曲線始点付近と思われ、これにスムースにつなげたものであろう。以後上下全列車がこれを運転し峠下隧道への既設線は放棄された。峠下隧道の老朽化にともなう措置である。
この区間の複線化に際しては、この放棄した峠下トンネルの改築と曲線改良にて旧線を復活し、上記25K754Mから大沼までは既設線右側に腹付け線増を行った。これと復活旧線の接続点も25K800Mから25K754Mの区間となり、ここには、10パーミル勾配の終点の曲線出口(上り列車には入口)付近にそれを裏付ける微妙な曲線線形が残っている。
これを上り線、新設線を下り線とした熊の湯信号場-軍川間の複線運転は1962年7月25日から開始された。

写真のさらに奥側で、道道も鍵形に線路から離れるのはそこが鉄道用地のためであり、かつて存在した小沼信号場の構内である。これについては項を改めたい。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/500sec@f5.6 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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