"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

森 (函館本線) 1970

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噴火湾は、その魚種の多いことで知られるが、北海道水産研究本部によれば商業漁業の中心魚種はスケトウダラにサケ、アカガレイである。けれど、遅くとも戦後の早い時期までには、ニシンとイワシそしてマイカにこれらを上回る漁獲があった。
特に、ニシンとマイカは豊漁の続いて、戦前の加工に保存技術の未発達の時代には廃棄処分も生じていたと云う。
日中戦争にともなう食料統制の発動されていた1941年に、このマイカを用いて商品化されたのが「いかめし」の始まりである。

森駅にて阿倍旅館(現阿倍商店)が構内営業を始めたのは、1903年6月の開駅とほぼ同時と記録されるようだ。(翌1904年とする資料もある)
以来、一世紀を越える盛業は偏に「いかめし」の存在に負うところだろう。当時の当主阿倍恵三郎氏が、有り余るマイカの利用と統制品のコメの節約を考案したものである。発売間もなくここを通る乗客に評判となり、沿線名物として定着したのだった。
ところが、戦後に噴火湾のマイカ資源は枯渇する。1980年代以降に復元傾向にあるが、まだ年度毎の漁獲高に大きな差異があって安定しない。資源回復には至っていないと云うことである。
今、阿倍商店では主にニュージーランド近海産の輸入モノに頼らざるを得ないとのことだ。
かつての噴火湾産に比すれば、やや大型につき一箱二個入りが多い由である。
手元に残るこれの掛け紙の内、もっとも古いのは1963年6月11日の調製印があって、おそらくは父親の出張の土産であったろう。経木から滲み出た煮汁の跡の残るそれは、現在と変わらぬデザインで価格は80円とある。

この頃、森から八雲方面への海岸では昆布の天日干しの光景が各所に見られた。沿岸の浅海の至る所でそれの採取出来たと云うことだろう。その生育周期から3年ごとの豊漁と云われており、八雲町のデータだけれど1970年は前後年を上回る250トンの生産で確かに豊漁年に当たっていた。
写真は、昆布の一面に広げられた島崎川河口の砂州を越え森駅構内に進入する4280列車、東室蘭操車場から五稜郭操車場へ直行していた貨物列車である。
五稜郭区のD52は重量貨物列車に充てられており、藤城線の10バーミル勾配を含む五稜郭-長万部間の牽引定数は、下りがD51の900tに対して1000t、上りは同1000tに対し1100tであった。(ちなみにDD51内燃機関車はD51と同等である)

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/250sec@f8 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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