"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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国縫 (函館本線) 1999

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国縫には瀬棚線への出入りで幾度か降りていた。
ここは、それの分岐駅と云うばかりでなく、構内に隣接してその東側を占めていた工場(木材工場だったと記憶するが、定かでない)への専用線も出ていて、比較的大きな駅だった。五稜郭操車場-長万部間運転の区間貨物列車1往復が停車して、その貨車の解結の他、瀬棚線内着発貨車の授受も行っていた。
急行列車の停車もあったけれど、それは1966年10月改正にて函館-瀬棚間に設定の青函局管内列車<せたな>で、それの下りがここまでを札幌行き<すずらん>に併結の関係にて幹線系統列車が停車したに過ぎない。78年10月改正から客車編成の<ニセコ>が下りのみ停まるようになったのは、同改正でのこの<すずらん>の特急格上げの代替であった。
かと云って閑駅だった訳では無く、81年度の乗車人員は167人とあって森-長万部間では八雲に次いで落部と同等である。面白いのは、函館-札幌間設定の夜行荷物列車、通称-山線夜行が、それの廃止まで深夜帯の原則通過運転に対して下りが国縫に、上りが落部に停車していた。もっとも、これは旅客よりも荷物扱いによるものだろうが、それを要する地域拠点駅だったのである。古くからの跨線橋を持つのも、その証であろうか。
駅本屋も現在に残るとおりに駅務室の大きく取られ、詰める要員の多かったことを物語る。待合室には鉄道弘済会の売店も開かれていた。
今の駅前の寂れようからは想像もつかぬのだが、そこには商店も大きな商人宿も在って、旅館は近年まで営業していたと思う。草の繁るばかりとなっている本屋両側の線路沿いには、貨物扱い施設に鉄道官舎が奥まで続いていた。

ここは、84年2月の貨物扱いの廃止により貨物列車着発線と側線全てが撤去されたものの、瀬棚線本線は、それの廃止後も待避線として残されて稼働している。対して、停車列車が1、2両の気動車列車だけとなっても長大編成に対応した乗降場の放置される中で、第一第二ともその旭川方が撤去され、希有な事例である。事由はわからない。

写真は、春浅い朝を通過する6003列車<北斗星3号>。
この国道230号線バイパスの国縫跨線橋からは、第二乗降場の撤去にて望遠画角が可能になった面があり複雑な心境だ。それは写真の上り中継信号機位置まで伸びていて、付近に待合所も設けられていたのである。左の通信線柱の空き地には鉄道官舎が建ち並んでいた。
既出の画角なのだが、Ektachrom での撮影に付きご容赦頂きたい。

[Data] NikonF4s+AiNikkorED300mm/F2.8S 1/250@f5.6 Non filter Ektachrome Professional E100SW [ISO160 / 0.5EV push] Edit by CaptureOne5 on Mac.
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