"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

落部 (函館本線) 1989

otoshibe_10-Edit.jpg

<エルム>の写真の度に書いているのだが、機関車に、このサイズのヘッドマークは似合わない。

国鉄における掲示物は正式には掲示標と呼称され、戦後には一貫して「日本国有鉄道掲示規程」および「同鉄道掲示基準規程」の定めにより取り扱われた。1987年4月の分割・民営化以降もほぼこれを継承しつつ各分割会社の事情や時代の変化に合わせて改正の行われているものと見て良い。
そこには、指導標として列車名標や行先標が規定され、トレインマークの項目もあるけれど、その大きさは「適宜」と記されるのみである。その「適宜」寸法は、どの時点にて採用されたものかは不明ながら、永らく直径660ミリが規格化され、87年度に新規製作の<北斗星><はまなす><海峡>についても踏襲された。後の<カシオペア>も同様である。
一方、88年11月3日改正における宗谷方面急行列車のキハ400/480系列への置替に際して、北海道旅客鉄道はこれらへのトレインマークの導入を決め、<宗谷><天北>用を直径890ミリにて製作した。そのサイズは、おそらく掲出位置となる貫通路幅やそこだけ下辺の低い貫通路扉窓とのバランスを考慮して決定されたものであろうが、その前頭部には馴染みの良いものだった。合わせて製作されたキハ54への<礼文>にも同様の印象を受けた。(<礼文>は86年11月改正でのキハ54置替時より、貫通幌枠に取付けの角形トレインマークを掲出していた)

ところが、あくまで気動車用と思われたこれが、翌年3月までに機関車牽引の夜行急行にも掲出されると、DD51のボンネット形状、ED76の幅狭の貫通扉と著しくバランスを欠くのだった。そして、それは89年7月22日(現地)を運転初日とする<エルム>にも採用されてしまうのである。青森側でのそれの着脱はないにもかかわらず、ED79用には通常の660ミリ径が用意されたから、東日本旅客鉃道管轄内への規格外品の進出は避けたものだろう。他社に顔出しの出来ぬなら、自社管内は云わずもがなである。
93年3月までに夜行急行が気動車化されてからは<エルム>にのみ残り、所謂イヴェント列車然として特急列車の威厳をぶち壊していたこれも、96年に至って耐用年数の尽きたものか直径660ミリの規格にて作り直され、ようやく永年の憂鬱の晴れたのだった。

落部の手前に存在する(石倉寄りから)第一/第二落部トンネルは、石倉-落部 (函館本線) 1992 に書いたように新設線上に建設された。1945年7月20日の使用開始時にはこれを上り線とした既設線と合わせての複線運転だったが、将来の既設線廃止と新設線の複線化を想定して当初より複線断面である。
写真は第一落部トンネルを出る8007列車<エルム>。
1989年3月11日改正で新設されたこの予定臨ダイヤでは、同年5月より集約臨や団体臨の運転実績があるが、多客臨は夏臨設定が最初の事例であった。

[Data] NikonF4s+AiAFNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f5.6-8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/395-b6ee43e0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。