"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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小幌 (室蘭本線) 1994

koboro_01-Edit.jpg

1937年、日中戦争の開戦により、当時に備蓄の十分でない重油・ガソリン等の燃料が戦略物資となり、加えて戦線への大量の物資輸送の要求から民間船舶が徴用されるに至って、内航海運の輸送力を陸上に転換する必要が生じた。さらには、続く太平洋戦争の末期に沿岸の制海権/制空権を連合軍に奪われる事態には、この陸運転換は至上命題となったのである。
道内においても、それまで小樽や室蘭からの海運によっていた本州への石炭輸送を青函航路を介するルートに振向けざるを得ず、列車回数の増加に対応して、東室蘭以南がほぼ単線の設備であった函館/室蘭本線ルートには多くの信号場の設置が計画された。中でも、静狩-礼文間は駅間12キロあまりで輸送上での隘路ではあったが、中間地点をサミットとする10パーミルと9パーミルの標準勾配区間で、しかもその大部分で隧道が連続しており、それの設置は困難とされていた。
ここで窮余の策とされたのが、サミットに近い起点17キロ付近で幌内隧道前後の僅かな明かり区間を利用して、長万部方美利加浜隧道内で左に分岐し、幌内隧道に並行する単線隧道を山側に掘削、岩見沢方礼文華山隧道内にて本線に合流する有効長800メートルの待避線を新設、機関車はその明かり区間に停車する「煙管式」とされた(勿論正式用語では無い)信号場の設置である。1943年9月30日に使用を開始した小幌信号場は、この区間の線路容量を50%程増大させる効果を発揮した。なお、この際に静狩-礼文間では連動閉塞が施行され、通票の授受を廃している。
今、「待避線を新設」と書いたけれど、実際の運用では上下列車とも既設線側を待避線として使用したものと思われる。推定事由は後に述べる。

現在の小幌駅の置かれるのは、上記の岩見沢方の明かり区間である。
ここを含む静狩-礼文間の複線化は静狩方が先行して、既設線の山側に新静狩(1924M)/新ねずみノ鼻(1236M)/新辺加牛(1893M)の各トンネルを掘削、新辺加牛トンネルは新設分岐側の幌内トンネル内で小幌信号場構内に接続とした。これを下り線、既設の美利加浜トンネルから続く開業時からの既設線を上り線とする複線使用開始は、1964年7月5日であった。この際に美利加浜トンネル内からの新設分岐部分は撤去されている。
礼文方は、礼文 (室蘭本線) 1998 で述べたように既設線海側に新礼文華山トンネル(2759M)を新設、抗口(入口)を小幌信号場に置いて静狩方への上り線に使用中の既設線に接続としたのである。(以下追記に続ける)

写真は、新辺加牛トンネルを高速で抜ける5015D<スーパー北斗15号>。
山間にて極端に光量が不足し、ISO320を以てしても絞り開放で描写の甘い上に、微細な被写体ブレを生じている。

ここには、60年代まで信号場職員が家族とともに住む官舎が存在し、文太郎浜やピリカ浜には漁師家も数軒在って、当然に走行可能なのはジープであったろうが国道(旧国道である現在の礼文山道)からの車道すら通じていたと云う。40年代からの陸軍や米軍による空中写真には、解像度の良く無い中にもそれらしきものが見て取れる。国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスから検索して頂きたいと思う。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

したがって、現状で小幌を囲む五個のトンネル抗口の来歴は以下のとおりである。

a [礼文方左側]
信号場設置時の新設線に設けられた礼文華山隧道の新抗口。現在の下り線礼文華山トンネル入口。
b [礼文方中央]
開業時以来の礼文華山隧道入口。複線化により放棄。
c [礼文方右側]
複線化時増設線の新礼文華山トンネル入口。(上り線トンネルであっても起点側が入口である)
d [静狩方左側]
開業時以来の幌内隧道出口。現上り線が使用。
e [静狩方右側]
信号場設置時の新設線に設けられた幌内隧道の新抗口。現在では下り線新辺加牛トンネル出口。

信号場設置前の本線は上記d-b間を結んでいたのである。
現在も各トンネル内に信号場設置の際の分岐/合流の遺構が存在しており、上り線の美利加浜トンネルには進行左側に安全側線を設置した空間も残されている。ところが、下り線の礼文華山トンネルでのそれは、進行右側の分岐遺構側に存在して、既設本線側を上下の待避線に使用との推定根拠である。
よって、新設線側の美利加浜隧道出口抗口と幌内隧道入口抗口間の明かり区間は、機関車の停車の無いため落石覆いが連続していた模様で、その遺構らしき構築物が上り列車の右車窓に確認出来る。


※「隧道/トンネル」の表記別は、それの建設時に準拠した法規上の呼称に従った。現在は全て「トンネル」に統一されている
=参考文献=
北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981
札幌工事局70年史 : 国鉄札幌工事局 1977
新日本鉄道史 : 川上幸義(鉄道図書刊行会) 1968
日本陸運十年史 : 国鉄編 1951
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コメント

いつもお世話になっております

毎回、素晴らしいお写真を興味深く拝見するのみならず、鉄道史までも勉強させていただいております。
本当にありがとうございます。

経年劣化なのか、かなり古びた様相を呈したトンネルと、近代的な顔を持つスーパー北斗との対比。興味深く拝見しました。

  • 2013/05/23(木) 02:23:04 |
  • URL |
  • うめじろう #-
  • [ 編集 ]

Re: いつもお世話になっております

こんばんわ。
いえいえ、とんでも御座いません。ネタに困ればその方面に走るだけです。
とは云え、ここ小幌に限れば、訪れる人々は多いのに
そこに存在する抗口の来歴に触れる方がおりませんでしたので。
写真のトンネルポータルはその後に改修されています。

  • 2013/05/23(木) 22:13:02 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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