"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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豊浦 (室蘭本線) 1981

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豊浦駅は、かつて国鉄旅客局による便覧「停車場一覧」にて駅名が括弧書きされる接続駅であった。接続線は自動車線の羊蹄線に伊達線である。ここには、道南バスに移管される1996年3月まで国鉄〜JR北海道バスが発着していた。

それは、1947年12月27日に胆振線の喜茂別に喜茂別自動車区が置かれ、京極と喜茂別との間に区間貨物運輸路線の開かれたことに始まる。鉄道と連絡して、旧軍用車や進駐軍払下げの貨物自動車を用いた復興物資や民生品の輸送を行った路線である。(これの事情詳細については追記に別記する)
翌1948年11月3日には、旅客路線として豊浦-京極間/幸町-向洞爺間に羊蹄線が設定されるものの、引続き貨物輸送が主体であり旅客自動車(バス)の配属されたものかは怪しく、貨客混乗にて幌付きの貨物自動車の使われた可能性が高い。

1950年代ともなると、民生も安定して民間のトラック業者も復興したことから、これら区間貨物路線は1952年8月31日限りにて廃止され、それは一般区域貨物自動車運送事業となるも翌年までであった。
以後国鉄自動車は旅客輸送に専念し、日本国有鉄道発足後に自動車区から改称(1949年9月20日付)していた喜茂別営業所が、1955年7月1日付にて支所に格下げされ、それまでの豊浦支所が豊浦自動車営業所に昇格、同年9月5日には豊浦-稀府間に伊達線が開設され、これ以降の路線展開は室蘭本線沿線地域にシフトして往く。
そこでの路線拡充にともない、統括区所として機能は1960年7月1日に伊達紋別営業所(派出所を格上げ)に移され、豊浦は同所の豊浦派出所となるなどの変遷はあったが、豊浦駅は路線東端の拠点には違いなかった。

ここへ通うようになった70年代後半以降には、周遊券やその後の企画券でも乗れたから洞爺/伊達紋別から豊浦駅、東雲町停留所に礼文駅前停留所、エントモ岬への中学校前停留所、若生停留所に西長和停留所へと、列車の設定の無い時間帯に便利に乗っていた。礼文線は早いうちに無くなってしまったのだが、調べてみると1979年11月20日にて休止とあった。

1981年2月28日付で派出所より降格されていた豊浦駐在は、1983年12月1日を以て廃止され、豊浦は自動車線の駅機能を失って接続駅から除外された。それでも、豊浦駅前停留所が置かれて駅前広場に国鉄バスがやって来ることには変わりなかった。このようなルーラル地域に見る国鉄の列車と自動車線との連携は、「国民の国鉄」を象徴する景観に違いなかった。
それまでの駅出札窓口はバス駅も兼ねて自動車線経由の鉄道線接続乗車券なども売っていたはずで、それを一枚もコレクションしなかったのは悔やまれる。

写真は、豊浦駅西方貫気別川橋梁からの盛土区間での245列車、室蘭行き。この頃、今はワンマン運行の気動車も、51形客車化されたとは云え堂々の編成列車であった。
これは、1981年最後の日没なのだが、初日の出に対してそれは何と呼ぶのだろう。

[Data] NikonF3P+AiNikkor28mm/f2.8S 1/500sec@f4 O56filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.

1945年8月のアジア太平洋戦争での敗戦以降、国内の貨物自動車事業による運送能力は、車両の老朽化や補修部品の供給不足などから極めて低下し、復興にともなう需要との間に大きな乖離を生じていた。この事態に対して政府は、閣議諒解事項として省営による貨物自動車輸送の拡大を運輸省に命じ、旧軍用車676台に進駐軍払い下げの1847台を新規投入した。
これを受けて1946年3月27日の運輸省告示第95号にて、全国36の自動車区を指定して同年4月15日から食料や復興物資など民生安定に要する重要物資を、路線設定にかかわらない自動車運送の取扱を開始するとした。それは、民間の貨物自動車の入らない山間地や僻地を含むものであった。所謂、省営自動車特設機動隊運営と呼ばれた施策であり、鉄道との継送を行わない自動車完結輸送に特徴があった。道内では札幌自動車区が指定された。

1947年12月19日の運輸省告示第322号では、それをさらに進めて、国営自動車区間貨物取扱方が示され、それを要する全国の各地に自動車による区間貨物運輸路線が開設され、多くの貨物取扱所が置かれた。この貨物路線は運輸大臣の指定する集配区域を沿線の広域にともなっていたから、前記の省営自動車特設機動隊運営をより拡大したものでもあった。
道内においては14の地域に23路線が開かれ(後に7路線が追加)、同年12月27日付での運輸営業開始とされた。この中で、後志地域の喜茂別-豊浦間/留寿都-狩太間/京極-豊浦間路線の担当区として設置されたのが、喜茂別自動車区であった。
この区間貨物運送は、特設機動隊運営と異なり、留寿都以外の貨物扱所は鉄道駅構内に置かれ、鉄道と連絡運輸を行った。
なお、これによる自動車区を「機動運営自動車区」とする記述もあるのだが、前記の省営自動車特設機動隊運営にて指定の札幌自動車区との区別に足る資料が手元に無く、ここでは敢えてそれとしていない。

上記の告示は1949年6月1日の日本国有鉄道の発足に際して、以下のように引き継がれた。
 運輸省告示第95号→国鉄自動車機動班による貨物取扱方に関する件(1949年6月 日本国有鉄道公示第35号)
 運輸省告示第322号→国鉄自動車区間貨物取扱方(1949年6月 日本国有鉄道公示第28号)

1952年9月1日を以て、この国鉄自動車区間貨物取扱方は廃止され、路線は一般路線貨物自動車運送と一般区域貨物自動車運送の路線に再編される。それは民間への移行を前提とした措置と思われる。

[参考文献]
北海道鉄道百年史 : 国鉄北海道総局 1976-1981
運輸省三十年史 : 運輸省編((財)運輸経済研究センター) 1981
国鉄自動車五十年史 : 国鉄北海道自動車五十年史編集委員会 1984
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コメント

室蘭本線と聞くと、何故か「寝台特急北斗星」をイメージしてしまう私です。
もうずいぶん前のこと。友人に誘われ、エンモト岬へ北斗星を撮りに行ったことがあります。
もっとも、当時の私はカメラは持っていたものの、撮っていたのはバイクとか車ばかりだったので、まともな鉄道写真が撮れるはずも無く。
ただドライブに行った・・・という感じなのでしたが。
そのときの記憶が元で「室蘭本線=北斗星」となっているのは、事実のようです (^-^;

  • 2013/05/10(金) 02:30:55 |
  • URL |
  • うめじろう #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

うめじろうさん、こんばんわ。
レスポンス遅くなりまして、申し訳ありません。

動体を撮っていらしたのなら置きピンも訳ないはずで、
ぜひ、もう一度鉄道も撮ってみられては。
エントモ岬周辺では、いろんな画角が楽しめます。

  • 2013/05/13(月) 00:38:25 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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