"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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初山別 (羽幌線) 1977

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羽幌線は、初山別から築堤で高度を上げながら左に旋回し、海岸段丘が海へと迫り出した区間を、この段丘面を切取ることなく海岸線との僅かな空間をラーメン構造の高架橋で通過していた。通称-金駒内(けんこまない)陸橋である。
この陸橋は、外観からは600メートル程に達するのだが、構造物上は3個部分からなっており、それぞれ上り方から順に『第一/第二/第三初山別陸橋』と命名されている。
このルート選定は、用地買収にかかわる経費上の結果と言うが、高架橋の採用も段丘への土工より有利であったからだろう。これは開通年次の新しいことを示している。

初山別と遠別の間が羽幌線の最後の区間として開業したのは、1958年10月18日のことであった。よって時代的に投下されている構造物の技術は東海道新幹線と同等である。
開業日には、札幌から直通の、ロザ車のみで組成の祝賀列車が運行され、遠別駅にて祝賀記念行事が行われた。

この話は、撮影を終えて引き上げた駅で駅務室へと迎え入れてくれた、初老の駅長氏から伺った。開通時には、遠別で駅員として働いていた由。
お茶をご馳走になり、帰り際に頂戴した名刺に、「日交観旭川支社」とあった。てっきり、国鉄の職員かと思っていたが、それを定年退職して故郷の駅に帰った方だったのだ。
この当時でさえ、既にこの駅が国鉄の合理化=駅務の簡素化に基づく業務委託駅だったのに少々驚いた記憶がある。ここが国鉄の直営であった期間は、おそらく開業から15年に満たぬのではなかろうか。
そういえば、この最終開通区間の途中駅は最初から無人駅ばかりだった。
(日交観については下の追記に詳述している)

金駒内の陸橋は、車窓からの眺望であれ、撮影するにせよ、羽幌線最高のビューポイントに違いない。その存在は蒸機撮影の時代に全線をロケハンして承知していたけれど、蒸機列車がいつ走るや知れぬ臨時貨物1往復の設定とあっては訪問を躊躇せざるを得ず、それがなくなって、ようやく実現させた撮影行であった。

列車は、825D幌延行き。
背景はこじんまりとした初山別漁港である。
奥の海上に見える黒い部分では雪混じりのの風の吹いている。冬の羽幌線撮影では、これが曲者だった。

[Data] NokonF2A+AiNikkor180mm/F2.8ED 1/250sec@f8 Fuji SC48 filter Tri-X(ISO320)

日交観=日本交通観光社とは、もともと国鉄バス路線の駅(*1)の業務委託先として、1955年に運輸省/国鉄の主導で組織された事業体である。地元自治体なども対象であった通常の委託先とは、国鉄の直営で行っていた駅業務を全てそのまま委託した点が異なる。すなわち、乗車券の販売や小荷物の扱いなどの営業面ばかりでなく、運転関係業務も受託させたのである。したがって部外者から見ると国鉄直営駅となんら変わるところが無い。
これが、60年代後半になると鉄道駅の業務も受託するようになり、全国ベースでのデータだが、1970年度にて国鉄鉄道駅5081駅中、432駅が業務委託駅であった(*2)。これには地元自治体や農協などによる受託も含まれるが、この時代のその多くは日交観と見て良い。
現業従事者は国鉄の退職者が大半であり、その受け皿としての役割も担っていたと思われる。

(*1)国鉄運営のバス路線(国鉄バス)は、鉄道線の接続線/培養線/補完線/と位置づけられていた。その路線中で乗降客の多い箇所には人員が配置され、鉄道の駅とほぼ同等の業務が行われた。よって、ここも制度上、駅と呼ばれていた。人員配置のないところが停留場である。
(*2)出典-数字で見る国鉄1971年版
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