"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

七飯-大沼 (函館本線) 1988

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待望の本州-北海道間連絡の寝台特急列車が運転を開始したのは、88年の3月改正だった。
もちろん、海峡線の開業にともなうもので、既に四半世紀近くも前の出来事になってしまった。

この運転開始の一ヶ月後からしばらくの間、1列車<北斗星1号>に座席車が連結されていたのをご記憶だろうか。函館-札幌間に増結のスハフ14である。

改正前のこのスジには、青函連絡船の深夜便から接続となる1D<北斗1号>の設定があり、連絡船からの乗継客ばかりでなく、函館-札幌間各駅からの利用者も少なからず存在したのである。
改正後の1列車は、これらの旅客に対応して編成中10号車の寝台利用を函館までに制限したのだが、爆発的な<北斗星>人気により札幌方面への通し旅客が多く、この双方の需要を賄いきれずに、半ば苦肉の策的に施行された措置であった。
この増結は現地函館基準で88年4月11日より実施され、編成札幌方に座席車組成の<北斗星>が実現した。当時、札幌運転所のスハフ14は配置全車が運転所在姿で前位を函館方(函館本線基準)としていたため、1列車のオハネフ25とは後位が相対し、特急の編成美としては褒められたものではなかった。
この増結運用には、さらに趣味的な面白さがあったのだが、興味のある方だけ「追記」をご覧いただきたい。

88年の春には仕事が立て込んで、なかなかに道内行きのスケジューリングが出来ず、ようやく渡道が叶ったのは6月に入ってからのことだった。原型色のDD51機重連の特急仕業は、東北線の<ゆうづる>、奥羽線の<日本海>の再来を思わせ、この渡道の2週間の予定を全てこれの撮影に充てた。

カットは、渡道翌日、はじめて対面した1列車。機関車次位にスハフ14が見て取れる。
良く知られた通称-七飯高架橋の大沼寄りのタラップから、函館支社広報課の許可を得て撮影している。運転士はここでの撮影を承知していたはずである。高架橋の内側は、この四半世紀で住宅が建て込み撮影には適さなくなっている。

[Data] NikonF4s+AFNikkor180mm/F2.8ED 1/500sec@f4 Non filter Tri-X(ISO320) Compiled by CaptureOne5 on Mac.


当該車の送り込みには、前日の202列車<はまなす>が使われ、編成函館方前位に連結して回送された。締め切りが基本であったけれど、同列車の混雑により多々営業していた。
当時のスハフ14は24系との併結改造を受けていないため、オハネフ25とは電源回路は勿論、制御回路も繋がらず(ジャンパ栓が異なる)、ドア扱い、車内放送等が個別の扱いとなり、専務の車掌が乗務していた。
記憶では貫通幌も使用していなかった。
反面営業的には、あくまで<北斗星>寝台の昼間利用であったので、函館-札幌間各駅相互間の乗車区間を指定した立席特急券の所持を要し、自由席特急券や周遊券では乗車出来なかった。
<北斗星>編成の一部と言うよりも、それと同時刻で運転された愛称名の無い臨時特急のような運行ではあったが、特急形として誕生した14系座席客車の「定期運行の特急列車」への希有な運用例である。
さて、この運用の終了時期であるが、残念ながら記録が無い。88年の夏期繁忙期には<北斗星>本体への寝台車の増結があり、輸送力列車だった6003・6004列車<北斗星3・4号>も毎日運転の季節列車となったゆえ、その時期には終了していたと推定している。
ご存知の方がおられましたら、ご教授願えまいか。
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