"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1985

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B寝台車が3段式で新製された14/24系特急形客車のそれに対する接客設備改善工事、即ち寝台設備の2段化改造工事は、82年度に当時秋田運転区に集中配置されていた24系から開始され、次いで83年度の品川客車区14系、84年度からの尾久客車区14系と続いた。
これは、74年度の24系(25形)の登場以来、特急運用車として581/583系寝台電車も含めてB寝台設備の3段式と2段式併用おいて、3段式の居住性や他の交通機関との競争力が指摘されており、80年10月改正にて3段式設備の20系固定編成客車が特急運用から撤退したことから計画されたものである。82年11月改正では14系が多くの急行運用にも進出していて、これとの差別化からも急がれた施策でもあった。これにより、ハネ車で16名、ハネフ車で15名と云う大幅な定員減となるのだが、寝台特急に対する需要の低下もそれを可能にしていた。

特急運用車への工事が一段落すると、当時管内に寝台特急の運転のなかった北海道総局により、道内急行列車寝台設備の2段式化が計画され、85年度にオハネ14-5両に対して試作的な工事を施工、85年11月7日の下りから413・414列車<まりも>の4/5号車に組み込んで試用を始めた。
趣味的な興味は、ここでの工事が本州内配置車の例と異なり、3段式への復帰が容易な構造とされた点にある。季節波動の大きい道内輸送に対しては、多客期での定員減が懸念された訳である。この5両中4号車に専用の3両には、これも試験的に清涼飲料水の自動販売機が搭載されたのも他に例を見ない。
その需要は堅調に推移したため、86年度にスハネフ14を含む6両を追加し5号車を寝台車から座席車に置替て輸送力を確保した上で、86年6月30日の下りより全寝台車を2段式車両とした。
編成変更で列車定員を確保したことや、この頃より旅客の昼行特急への転移や都市間夜行バスへの流出による列車自体の需要低下が見られ、多客期輸送にも支障の無く推移し、その期間に計画の3段式への復帰はなされなかった。
したがって、続いて工事の施工された<大雪><利尻>運用車については、この構造は見直され採用されていない。
現在も札幌運転所に在るオハネ/オハネフ24 500番台車は、全てこの試作改造車を種車としているのだが、その上段寝台舟の可動する構造の痕跡は今も残るのだろうか。

写真は、札幌に終着する414列車<まりも4号>。
この年の3月改正で、6号車に予備電源車を兼ねて組成のスハフ14が減車され所定7両編成となっていた。この日はオハ14の増結がある。
札幌駅高架化工事関連にて荷物扱い設備は苗穂に移転しており、[北東航21]のスユ15と[北東航2][函荷1]のマニ50-2両はそこで解放され、ここまでやって来ない。

[Data] NikonF3P+AiNikkor50mm/F1.4S  1/250sec@f8 Kodak No,12 filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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