"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

一抗 (日曹炭坑天塩砿業所専用鉄道) 1972

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少々間隔の空き過ぎた。1年程前の記事、一抗 (日曹炭坑天塩砿業所専用鉄道) 1972の続編である。

キャブ下のS字曲線が特徴的な、1912年度から13年度に製造された9600形蒸機の最初の18両は、戦後まもない時点でその多くが道内に配属されていたものか、その時期に少なくとも9613-9617の5両はそこで用途廃止とされ、同地域の私設鉄道や専用鉄道に譲渡された。
9615は、その最も早い時点での事例であり、1948年10月に名寄機関区を最終配置区として用途廃止が決済され、同月20日には日曹炭坑天塩砿業所専用鉄道に回着している。そこでの竣工届は翌49年11月3日付なのだが、一年間寝かされたとは思われない。これと、続いて48年12月7日に回着した9643との2両が代替したと思われる既存機関車の廃止届けは1949年6月7日付で出されているから、少なくともそれ以前には稼働していたはずである。付記すれば、9643の竣工届けの提出は1959年である。(上記データは日曹側資料を調査された大西清友氏による)

ここでは、この9615を転がすと云う、得難い体験をしている。機関区事務所でお会いした機関士の誘いに、一も二もなく飛びついたのである。
始めは片手シャベルで投炭し、インジェクタにブロワコックを操作して蒸気を作る。チェインで引上げる式の焚口戸の意外な軽さには驚いた。所謂滑車の原理なのである。そのうちに火床が赤く燃え上がり、やがては蒸気の騰がりが缶圧計に表れ、コンプレッサも動き出す。
まずは、機関士の説明を聴きながら構内外れまで助士席で一往復。これだけでも天にも昇る心地なのだけれど、次は機関士席でレギュレタを握るのである。まずは、先ほどの一往復後にミッドギアになっているリバーをフルギアに戻す。重そうに見えたこれがカラカラと回るにも驚いた。走行中も常に操作するから、なるほどと納得する。
ブロワを閉めて、レギュレタを手を添えてもらいながら少しだけ引くと、ひと呼吸あって動き出す。ドラフト2回のところでリバーを半分まで巻き上げろと云う。クルクル回しているうちに加速がついてきて、窓下のドレインコックを開く。排出する蒸気の心地よいうちに、レギュレタをもどし、機関士が単弁を操作して制動を掛け停車。
リバーをまたもやクルクル回して逆転側のフルギアへ。そしてレギュレタを引いて逆行。元位置に戻り止まった時には、全身汗ダクの記憶が在る。
楽しかったけれど緊張もしていて、気がつけば汽笛を引く余裕もなかったことが心残りではあった。
全線運行停止後の気安さからだろうが、おそらくは内規違反に相違なく、今に思えば二度と出来ぬ体験に感謝するばかりである。

この時、下り列車は常に逆向き運転にてキャブに風が吹き込み、ボイラのそばにもかかわらず冬には凍えた、との話が印象に残っている。40年も経って気がついたのだけれど、ならば、この鉄道は転車台を持たなかったのではないだろうか。そう云えば、ここ一抗でも見かけた記憶はない。
写真の停車位置から前方のカーブして構内を抜けるまでが「体験運転」区間である。

[Data] NikonFphotomicFTN+AutoNikkor5cm/F1.8 1/125sec@f11 Y48filter NeopanSSS Edit by PhtoshopLR3 on Mac.

2013年2月25日の記事 [札幌 (函館本線) 1986] の記述につきまして、kattsu-mqc様からご教示をいただいたものでありますが、その後に各資料を再検討しました結果、上り列車での14系客車と郵便車/荷物車間の蒸気暖房管の連結に関する下記の記述部分は誤りと判断し削除/訂正いたしました。調査不足での記述をお詫び申し上げます。

........けれど、郵便車/荷物車が旅客車の前位となる上り列車では14系にまで蒸気を送る必要はなく、当該車間での暖房管の連結は切られていた。機関車搭載の蒸気発生装置の負荷を考えれば当然の運用では在る。但し、遠軽で方向転換のあるこの<大雪>だけは、上下列車ともそれは繋がれたままで、最後部となったスハフ14から蒸気の吐出を見ることが出来た。...........

訂正後の記述は、札幌 (函館本線) 1986 の通りです。
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