"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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[番外編 11] 糠平 (士幌線) 1980

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士幌線末端区間の糠平-十勝三股間は、1978年12月24日を以て鉄道による運行を休止し、翌25日より帯広-十勝三股間に4往復設定の在った列車のこの区間がバスによる代行輸送とされた。路面交通による列車代行は災害や工事関連にて多々例があるが、あくまで一時的な措置であり、それの恒常的な施行は国鉄始まって以来の事例となった。
なお、この代行輸送は旅客に止まらず特別扱新聞紙の荷物輸送も含んでいた。

代行輸送は国鉄の直営ではなく河東郡上士幌町に本社の所在する上士幌タクシー有限会社に委託とされた。通常には、国鉄旅客は「代行輸送」区間を国鉄乗車券を所持したまま乗り、後に国鉄と当該輸送機関側とで精算のなされるのだが、この当時一日平均6人とされた利用実績の精算にて成り立つ訳もなく、実質的に金銭補償をともなう運送委託契約の締結されたはずであるけれど、それがどの規程によるものか解らない。そればかりでなく、同時に要員の引上げられる幌加/十勝三股での乗車券簡易委託発売も同社の受託とされ、それぞれからの「ム券」(簡易委託乗車券)が代行輸送車車内にて発売された。発売箇所表記は,それぞれ(簡)幌加/(簡)十勝三股である。これについても運営に資する程の売上の見込めるでなく(例えば十勝三股から帯広までの780円を11枚売って780円の手数料収入)、乗車券簡易発売基準規程によりながらも前記の運送契約と包括的に処理されていたものだろう。以前に、上士幌タクシー社長のインタビュー記事に接したことがあるのだが、このあたりの言及はなかった。

ところで、この措置の施行決定の遅れたものか、或は上士幌タクシーとの協議に時間を要したものか事由は不明だが、78年12月4日が編集の最終締切であった79年1月号(78年12月20日発売)の鉄道弘済会版の道内時刻表には一切記載が無い。それは、79年1月22日ダイヤ改正(訂補)収録とされた2月号から反映されたが、ここでも糠平にて乗換えを要するとの表記はなされなかった。もっとも、この措置に至る事由となったとおりに同区間の利用客の日平均6人は、三股集落の全人口14人に限られたから問題はなかったのであろう。列車行先票も矢印相互式の「帯広←→十勝三股」がそのまま使われ、これに括弧書きで(糠平-十勝三股間国鉄代行バス)の文字の加わるのは、これが全国紙で新聞報道され旅行客の見られるようになってからである。
代行輸送区間もそれはあくまで列車であり、糠平で待機中のバス運転手に運行便名を尋ねたところ、「これは725Dです」と列車番号が返って来た。

糠平構内から使用停止された出発信号機を越えて幌加方に歩くと、市街地から湖畔へと降りる道路との踏切があった。既に踏切票は外されていて名称はわからなかったが、かつては湖底に沈んだ旧糠平駅と温泉街を結ぶ道だったのだろうか。この土に埋もれつつある踏切からの士幌線は草海に没して辿れなかった。50メートル程先には糠平川橋梁(63M)が架けられている。

[Data] NikonF3+AiNikkor28mm/F2.8S 1/125sec@f11 O56 filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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