"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

鬼鹿 (羽幌線) 1980

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道内で端午の節句と云えば「べこ餅」である。今でこそ「柏餅」も売られているが、1958年に内地から小樽へと転居した一家は、節句にそれの無いのに困惑したと、母から聞いたことがある。
米粉(上新粉)と砂糖による蒸し菓子であるそれは、かつては各家庭にて慶事の度に作られ、おのおのに流儀の存在していたようだ。甘さは砂糖の加減次第だけれど、色づけや模様の出し方に工夫があり、蒸し上げ前の成形にも簾でロール状に巻くのと木型を使用するものとの流れがある。
甘い餅菓子は子供には美味しく、後には母もそれを作るようになるのだが、トラディショナルな自家製菓子の全国的な傾向と同様に、現在では菓子店からの購入が一般的であろう。

ここ鬼鹿には、古くからのそれの和菓子店があった。
その眞島商店は、何度か歩いていた羽幌線のオンネオニシュカッペ川橋梁に沿った橋の近くなのだが、菓子店と云うより雑貨品店然とした店構えに、永くそれと気がつかなかったのである。ある時入口のガラス戸に小さく張られた「べこもち」の札を見つけ、懐かしさも手伝って立ち寄ってみたのだった。撮影を終えて戻った駅で聞けば、地元では高名な店と云う。
餅菓子だから寒冷の中を持ち歩けば固くなってしまうのだけれど、車中に取り出せば直ぐに戻って、夜行列車での良い腹の足しになった。

ところで、この北海道の「べこ餅」は、後年に知る青森県鯵ヶ沢の「くじら餅」と同じものなのである。鯵ヶ沢は江戸期より北前船の寄港地であり、その時代には江差/松前での鰊の漁労に東北北部からの出稼ぎなど人的交流が存在したから、その伝播であろうとは考えていたのだが、この項を書くにあたってWebを検索してみると、どうにもそのルーツは開港地長崎にまで往き着き、北回り廻船航路の酒田/鯵ヶ沢から東北各地に伝播し変容したものが、個々に北海道にもたらされ、それらが道内独自に再統合されて「べこ餅」となったらしい。
このあたり、北海道人 特集北のお菓子達「べこもち」に詳しい。

写真は、鬼鹿に到着する826D深川行き。幌延から5時間をかけての運行であった。
冬期には風雪の凪いでも陰鬱な遮光層雲に覆われる日々の続く。それでも、雲間から陽光の差せば、海面はそこだけ本来の色を取り戻す。
ここは町外れの海岸段丘上に置かれた駅であった。このカットでは撮影位置の関係で海沿いのように見えるが、段丘崖の下に国道が通り、海岸線はさらにその先である。

[Data] NikonF3+AutoNikkor180mm/F2.8C 1/500sec@f8 Nikon O56filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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コメント

こんにちは

海の光がほんとにきれい
日本海の海は 子どものころから今でもいつも怖さを感じるんですが
日本海沿いの町並は好きで 独身時代はふらふら立ち寄りました 

べこもち ばあちゃんちよく食べたのは葉っぱの木型でしたが 
くるくる巻いて不思議な模様してたのも記憶に在ります

  • 2013/03/08(金) 08:41:47 |
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  • Jam #-
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Re: タイトルなし

こんばんは。

「くじら」が北海道に渡って「ウシ」になったのかと思っておりましたら、
その「べこ」はウシじゃなくて「米粉(べいこ)」だったのですね。納得。
母がレシピを覚えて作りましたのは、くるくる巻く方でした。

この鬼鹿は好きな場所でして、冬にばかり何度も通いました。
駅前に在った、仕出し屋を兼ねた食堂の玉子丼が美味しかった。
羽幌線が無くなってからは一度も訪ねてはいませんが、眞島商店は健在なようです。

鉛色の海に天空から光りのあれば、そこだけがエメラルドグリーンです。

  • 2013/03/09(土) 02:05:36 |
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