"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安-小沢 (函館本線) 1974

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青函を深夜便で渡れば、函館からは101D<ニセコ1号>である。
接続列車には<おおぞら><北海>の特急も在ったけれど、均一周遊券で乗れたのは急行自由席までだったから選択肢はこれしか無い。特急の走り去った後を追う、函館5時05分発は1980年10月改正での列車廃止まで不変で、札幌方面へと急ぐ客は特急に乗るゆえ、11便の25分後の1便で着いても空席のあるのも有り難かった。例えば1972年3月改正時点での所定8両編成は、キロ26-1両を含む4両が座席指定車でもあり、本州連絡急行の貫禄十分であった。
札幌まで小樽経由だったから、この場合の渡道一日目は大抵函館山線の何処かを撮ることになる。幾度も乗った列車だが、確かに札幌までの5時間を乗り通した記憶はない。

この急行は、1961年10月改正における<おおぞら>の新設に際して、運転区間を函館-札幌間に短縮した11・12<大雪>の後身であった。この大雪山の麓まで往かなくなった<大雪>は、1963年6月1日を以てキハ56/27系列の気動車編成に置替られ、この際、列車名も11D・12D<ライラック>と改めている。さらに、1966年10月改正で翌年春に設定予定の函館山線特急に列車番号を譲って101D・102Dとなり、1968年10月での列車名統合にて<ていね>と共に<ニセコ>を名乗のったのである。
余談だが、<ニセコ>の愛称はそれまで倶知安-札幌間の地域内準急に使われたもので、こちらは<らいでん>と改称された。

下りは終始札幌行きであったのだが、趣味的に興味深いのは上りである。
1968年10月改正での<ニセコ>への改称時に、それまでも運用上車両の直通していた根室-札幌間<阿寒>と統合され、根室-函館間1414D-404D<ニセコ3号>となったのである。遥か東端から根室本線を運行する列車に<ニセコ>の名称も奇異だけれど、札幌以南も根室線系統の400番台の列車番号を通したところも珍しい。しかも根室-釧路間での1414Dはキロ26をキハ27が挟み込む3両組成(キハ56/27の5両は釧路回転車)に、普通車の座席指定車-1両を含んでいて、3種の座席種別設定を持つ最短編成列車であった。
さらには、1972年3月改正にて釧路-札幌間のみが6404Dとして季節列車化されてしまうのである。即ち、これの運転されない期間には、根室-釧路間と札幌-函館間にて一日に2本の上り<ニセコ3号>の運転されることとなった。
以後、暫くこの状態が続くのだが、さすがに国鉄も最東端の列車に<ニセコ>は無いと思い直したものか、78年10月改正で、札幌にて系統分割し以北区間を<狩勝>に編入、変則運行は終了した。
なお、根室から函館までの829.4キロ(砂原線経由)は、ついぞ破られることのなかった気動車急行列車運行距離の最長不倒である。

写真は、後方羊蹄山(しりべしやま)からの雪晴れの朝日に倶知安峠へと向かう101D<ニセコ1号>。
この季節ならば長万部を過ぎて、ようやく車窓に雪原が青く浮上して来る。青森/函館と深夜に乗継いだ乗客の大半は眠っていて、いつも夜行列車の続きのような朝だった。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor105mm/F2.5 1/500sec@f8-11 Y48 filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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