"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

帯広 (根室本線) 1983

obihiro-Edit.jpg

帯広は、狩勝や士幌線への拠点として宿を取ることが多かった。待合室は、上り夜行<狩勝>(後に<まりも>)の発車後から数時間閉鎖されたし、<からまつ>の廃止前なら、それの上下を富良野で乗継ぐ「舞戻り」もしたけれど、23時乗車で2時台乗換えの5時半下車は、なかなかに厳しく一度で懲りていたからである。

手元に残る、交通公社版「北海道時刻表」1975年2月号巻末の同社協定旅館のペイジを捲り、帯広市でその施設名称からシティホテルないしビジネスホテルらしきものを探すと、帯広グランドホテルと帯広グリーンホテルに帯広ステーションホテルの3軒がピックアップされるのみである。勿論他にも存在したであろうが、情報の乏しい当時には、全国版のホテルガイドブックでも持ち歩かぬ限り、時刻表の巻末が頼りなのだった。

帯広の3代目駅舎は、1961年に帯広ステーションビルとして建てられた民衆駅で三階建てであった。これに4階を増築し1972年に開業したのが、帯広ステーションホテルである。なにより、改札口に最も近いホテルであったから、大抵はここを宿舎にしていた。
信じられないかも知れぬが、この時代のビジネスホテルはアウトバス、即ち「風呂無し」が一般的だったのである。勿論、ウィズバス(バス付き)の部屋も在るのだけれど、そこは部屋面積も広くてグレイドが異なり、料金的にも大きな差のあるものだった。このアウトバス/ウィズバスの言葉自体、現在では死語と化していよう。
ここもアウトバスの部屋が廊下両側に整然と並んでおり、狭い空間にベッドと小さなデスクにテレビ(しかも有料)だけが置かれ、寝床の提供と割り切ったものか、暗い室内の灯りの様は、Rolling Stones の歌う Memory Motel とはこんなところか、と思わせたものである。
それでも、駅構内側の部屋を所望して、帯広止りの<狩勝>の運転区への入換えなど眺めるのは楽しかった。今で云う、トレインウォッチホテルの走りと云ったところだろうか。夜の明ければ、検修庫の向こうに伸びる十勝鉄道帯広部線の線路も視界にあった。

写真は、深夜の帯広駅3番ホームに停車する413列車<まりも>。
増結がある座席車-4両に寝台車-5両と荷物車(北東航1)/郵便車(北東航21)の11両は、在来型客車時代の最大13両組成には及ばないけれど、道内夜行急行の中でも特別な寝台車を連ねた編成は、函館-根室間運転時代から1961年の寝台列車化を経て受け継がれた列車の「格」である。末期の183系気動車編成化後でも寝台車は、その最期まで2両の組成で、それは守り抜かれたと見て良かろう。

背景に、帯広ステーションビルが見えて、その上階部分がホテルである。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F2.5S Bulb@f5.6 Non filter ri-X(ISO320) Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/330-80b57eed
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad