"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

札幌 (函館本線) 1986

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2011年に、東日本旅客鉃道はC61形蒸機の復元に合わせて、高崎車両センタにて動態保存の在来形客車-7両に整備を施工した。それまでの運用上の制限を撤廃し、現代の一般的な営業運転に供することを主眼に旅客の保安度向上と客室環境の改善を図ったものである。その工事項目のひとつに「蒸気暖房設備の整備」が在って、客車の動態保存なら欠かせぬ要素と予々考えていただけに歓迎すべきことであった。
ところが、その冬の上越/信越線での展示運転は12系客車ばかりで、この在来形客車編成の出番はなく、蒸気暖房の復活は年を越した京葉/内房線での運転を待たねばならなかった。この千葉みなと-木更津間に運転の「SL内房線100周年記念号」を伝える鉄道誌のリポートには興味深い記述がある。
高崎車セ高崎支所の担当者が語るに、在来形客車の7両全てを組成した列車の暖房に供給するに「適当な蒸気圧が解らなかった」と云うのである。これは極めて初歩的な技術であろう。
高崎鉄道管理局管内にて、最後までこれを使用したのは両毛線と記憶する。1968年の春までのことで、かれこれ40余年を経過するけれども、部内に記録の残されていなかったものだろうか。例えそれの見つからぬにしても、鉄道の街高崎ならば、上信越線に暖房車運用の実績もあり、まだまだ存命の乗務経験者も多かろうと思われる。
技術とは、継承がなければ、それの不要となった瞬間に途絶するものと、改めて思い知らされるエピソードであった。

暖房管から漏れ出す蒸気をなびかせての走行や、駅に停車して床下から立ち昇る蒸気に包まれる姿は、懐かしい情景だ。夜目にも白い蒸気は、バルブでもかければ幻想的な美しいベールとなって印画紙に立ち現れた。
電気暖房と縁のない道内では、それは見慣れた光景でもあった。混合列車が運転上から独立暖房のウェバストヒータに依っていた石北本線も、その当時から旅客列車でスジの引かれた521・522列車は蒸気暖房を使用していたし、84年2月改正での混合列車廃止以降には全てがこれに移行した。同様の釧網本線のみが、それの廃止は同時に気動車化であったから使用実績は無いままである。

写真は、札幌駅3番乗降場に到着した516列車<大雪>。
この当時、郵便/荷物車は隣駅苗穂で解放しており、ここでの組成は見られない。機関車は蒸気暖房装置の停止前に内部の蒸気を排出している。
道内の客車急行は、14系に置替られてからも併結の荷物車や郵便車の存在により蒸気暖房は必須であった。そのために北海道向け改造を受けた14系500番台車は、後位へ蒸気を送るためだけに蒸気暖房主管を持っており、最後部となったスハフ14からの蒸気の吐出も見ることが出来た。
また、編成の長い<まりも>の下りでは、厳冬期の狩勝越えに際して蒸気が編成後部に至る間に冷えてしまい、蒸気暖房供給用のみの後部補機、所謂「暖房補機」を追分-新得間に使用することが多々あった。

これら急行列車での蒸気暖房も郵便車/荷物車自体の連結廃止にともない1986年10月30日の各列車終着を以て終了した。(<ニセコ>と<まりも>については疑問があり、これについては以下の追記に記する)
なお、道内最期の蒸気暖房列車は、1994年3月改正以降、小樽-岩見沢間に平日の朝のみに残存していたオハ/オハフ51編成の931・932列車で、それの電車化にともない同年10月31日の運転を最期に、その歴史は閉じられた。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F1.8S 1/125sec@f4 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.

この両列車については84年度の秋冬期より、遅くとも85年3月改正までには使用を停止していた可能性がある。これに併結の郵便車/荷物車は、84年2月1日改正における隅田川客貨車区運用の[北東航21]の郵袋輸送の護送便化により使用形式がスユ15に限定され、[北東航1]・[北東航2]の荷物車もマニ36が一掃されてマニ50に統一されていたからである。これらはKE10/KE85ジャンパ栓を装備し、14系客車からの三相交流440Vの電源供給回路と、それによる電気暖房設備を持っていた。手元にあるそれ以降の両列車の写真の限りでは機関車や当該車からの蒸気の吐出が見られないのである。但し、それは単に「見られない」だけかも知れない。
さらに遡ると、[北東航21]のオユ10だけを組成していた<ニセコ>の上りに限れば、冷房用として搭載した電源装置による電気暖房も可能な設備から、旅客車の14系化とともに蒸気暖房を停止していたとも考えられる。
このあたり、ご存知の方がおいでならばご教授を願いたいと思う。
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kattsu-mqc様よりご教示をいただました。御提示くださった写真によれば14系置替以降の上り<ニセコ>も機関車次位のオユ10に対してのみの蒸気暖房使用が明らかであり、上記下線部を削除いたします。
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コメント

こんばんは はじめまして
昭和の頃の記憶を確認しようと調べ物をしていたところ、こちらに辿り着きました。
学生時代の83年前後(84年改正よりは前と思われます)に撮影しました
[北東航21]のオユ?を連ねた上りニセコを撮影してありました。
画像は当方のブログに掲載しておりますが、ED76、DD51から蒸気の排出が見られます。
当時の蒸気暖房の運用についての情報は持ち合わせておりませんが、
何かの参考になればと思いましてコメントさせていただきました。

  • 2013/03/10(日) 18:04:28 |
  • URL |
  • kattsu-mqc #ElJgphU6
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。

貴ブログの写真拝見いたしました。
ED76もDD51も確かに蒸気暖房装置を稼働させていますね。
1981年2月の14系置替以降も次位のオユ10に対してのみ蒸気暖房を使用していた証拠です。
考えても見ますと、冬期の寒冷地運用で床下装備の4VK機関と発電機を駆動するのは、
保守上からも好ましくはないでしょうが、もしや、と考えておりました次第です。
ご教示ありがとうございます。

ブログの他ペイジも拝見しましたが、それにしても羨ましい資料をお持ちです。 

  • 2013/03/11(月) 01:15:31 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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