"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

室蘭 (室蘭本線) 1970

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留萠の、かつての広大な構内の大半が、しかも必然的に現駅施設に隣接したパークゴルフ場と化している姿には衝撃を覚えるのだが、ここ室蘭も同様である。入江運動公園の広さには驚く。それは、そこに置かれていた石炭積出施設を含む駅構内の一部に過ぎないのだけれど、その広大さを十分に示している。
両駅とも石炭の積出港としての海陸連絡駅であり、機関区などの運転区所も伴った拠点駅だったことも共通している。炭山の衰退と輸送構造の変化が命運を決めたと云って良い。

ここでは、貨物施設の全撤去後に区画整理を施行し、既存市街地のやや西側に寄っていた旅客施設を移設している。1997年10月1日のことで、かつての室蘭機関区付近の貨物着発線の跡地である。
1892年に室蘭として現東室蘭(但し位置は異なり、現輪西付近である)まで達していた北海道炭礦鉄道線は、馬車への積替えを要していたエトスケレップ仮桟橋までの輸送を直接荷役とすべく、1897年7月1日に延長線を開業し、桟橋へは現御崎付近からの分岐として、仏坂トンネルを穿って市街地の形成されつつ在った仏坂下に旅客乗降場を設け、ここを新たに室蘭と名乗らせた。
今、室蘭観光協会に寄贈されて残る3代目の室蘭駅舎への移転/移設は1912年のことで、ここの構内に隣接しての石炭高架桟橋の運用開始とそれにともなう構内の拡充整備の要請により、旅客設備がその最も奥に追いやられた結果であった。
1997年の再移転は、やや北側にズレるものの2代目室蘭駅とほぼ同位置に再び乗降場が置かれることになり、石炭輸送の盛衰の丁度100年を経ての先祖帰りである。

旅客乗降施設が海岸町の3代目駅舎の当時の旅客運転線の配線には不可解なところがあった。上り線から場内下り本線(2番線)への渡り線は、機関区横にまで至らぬ内の乗降場の遥か手前の位置に設置されており、そこへの到着列車は延々と下り本線を走り、まるで本線逆行のように見えたものだった。場内上り本線(1番線)から下り線へ進出する渡り線は、乗降場を出て直ぐのところにあったから、この両渡り線間の場内上り本線には、1番線へ到着する上り列車しか運転しないのであった。バランスを欠く配線と云う気がするが、貨物着発線への分岐が関係しているものと思われた。

写真は、室蘭駅下り本線から下り線への直進ルートで出発する229列車岩見沢行き。
ここは、終端駅なのだけれど、配線は西室蘭へと続く中間駅の類型に属し、しかも上り下り本線とも明確な機回シ線を持っていなかった。その都度、機関区との出入庫を前提とした線路の引き回しなのである。それでも、機回シの上で折返す列車も設定されていて、それは機関区通路線の使える1番線に着発させていた。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor135mm/F2 1/250sec@f5.6 Y48filter NeopanSSS Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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