"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

[番外編 10] 上興部 (名寄本線) 1973

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上興部に下車した際の同駅名標のスナッブである。
戦前には興部を凌ぐ駅勢を誇り、一の橋との間の峠越えの補機解結駅にて機関車駐泊施設(当初は名寄機関区上興部分庫)を持ち、駅弁当の販売も在ったと言うから主要駅だったのだろう。1935年には、構内分岐の専用線をともなう道直営の石灰石の採取場も開かれ、貨物の発送トン数も大きかったはずである。
この1973年当時も、それは北海道農材工業上興部石灰砿業所の専用線として健在で、本線列車を牽いて来た9600が1キロ程奥の工場まで出入りしていた。これ以外にも到着/発送の貨物も多く、貨物扱い線や側線には貨車の屯していたものであった。

写真には、その留置貨車が写り込んでいる。驚くことに、その所属たるや鹿児島鉄道管理局、常備駅は鹿児島とあって、北辺で見る遥か南の貨物車であった。しかも、家畜車-カ3000形、調べてみるとこの頃に18両まで数を減らしていた同形式の一両なのだった。いったい、どのような家畜を遥々と運んで来たものか、何昼夜を架けた輸送であったのか、付添人はひとりだったのか、はたまたリレーして来たものか、暫し感嘆に耽った覚えがある。
けれど、貨車は全国一律運用であったから、たまたま道内入りしていたこの車両が家畜車の要求により、ここへ配車されたものかも知れない。

日本の近現代史の専攻で後に鉄道史学会を設立された原田勝正氏によれば、日本の車扱貨物輸送における輸送効率は先進国にあっても最高レヴェルで、英国国鉄の10倍、フランス国鉄に対しても4倍の高効率だったと云う。(出典:日本の国鉄 1985 岩波書店)
それは偏に貨車操配技術に優れていた故である。荷主からの輸送申込を受諾した駅からの貨車配車要請に対して、荷の種類/分量/形状に適合した貨車を最短時間で配車する。鉄道の創成期から1984年2月まで、これは国鉄における最重要業務として本社/鉄道管理局/現業機関に専門部署が置かれ、毎日15時からの24時間を単位に全国の貨車の動向が細かく把握されていたのである。主に使われていたのは、全国をネットワークしていた鉄道電話であり、朝の定時通信には、通話時間を定めて各部署間の回線独占が認められていた程と聞く。当然ながら配車指令は専用回線も持っていた。
圧倒的なマンパワーを背景に実務と経験によって実現されていたこれは、過密ダイヤと狭い国土の線路延長から無制限に貨車を保有出来ない日本国鉄の事情が産み出した世界最高の技術であった。
現在、コンテナひとつひとつにタグが付され、それを読み取ることによって同様のことが実現され、それの積まれた貨物列車は衛星通信にて位置が把握されているけれど、その基本的な考え方はこれらをベースにしている。

さて、このカ3104は、この後どうしたのだろう。家畜輸送の需要は僅かとなっていた時代だが、それの消滅したでなく、両数の少ない中で各地の要請に従って全国を回遊したものだろうか。鹿児島へと帰ったのは何年後だったのだろうか。このサイズの写真では判然としないが、車体の全検出場表記は「47-10鹿児島工場」と在って、回帰まで余裕のあるゆえ、それも考えられぬでも無い。貨車の雄大な旅に想いを馳せる。

[Data] NikonF photomicFTN+P-Auto Nikkor50mm/F2 1/500sec@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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コメント

貨車の話

こんばんは。

いつもの事ながら博識に感嘆いたします。
当時の貨物輸送がそれほど緻密なシステムで運営されていたとは思いませんでした。

鹿児島の「カ」ですか。粗末な貨車ですが、どんな旅だったのか、興味は尽きないですね。

上興部は30年前、縁あって地元の中学教師の教員住宅に泊めてもらったことがあります。
学校始まって以来、初めて全員を高校に進学させたとか。
北海道の奥地の異次元のような話に時を忘れました。
その中学は数年後に廃校になったはずです。

  • 2013/02/21(木) 00:08:18 |
  • URL |
  • 風太郎 #ORZvdv76
  • [ 編集 ]

Re: 貨車の話

こんばんは。

いえいえ、家畜車の「カ」です。主に豚や牛を運んでいたもので、
それに餌や水を与える付添人のための(実に狭い)小部屋-と云うか単に仕切られただけ-の設備もありました。
その構造から通風車代わりに使われることも多々あって、白菜や大根を積み込んだ姿を見かけたものです。
現実には、その用途が多かったのかもしれません。

70年代辺りまでは、そんな「異次元」話、あちこちにありましたね。
曰く、電気が通じたのはつい3年前とか、民放(当時ならHBC)のテレビはまだ映らないとか。
新聞は週2回、三日分がまとめて届く、なんてことも聞きました。根釧原野でのことです。

  • 2013/02/21(木) 00:53:43 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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