"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

大沼公園 (函館本線) 1971

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鉄道事業にとって通勤通学や用務利用客ばかりで無く、観光に娯楽や休養目的と云った旅客の誘致は、戦前期より必須であった。私設鉄道においては、寺社仏閣や静養地/保養地への到達を目的に敷設されたものも少なく無く、沿線に観光地の無ければ自らが遊園地や劇場等の娯楽施設を運営し、集客を図って来た。ターミナル駅へのデパートの開設も、その延長上にある。
鉄道院/鉄道省の時代からの国鉄も同様で、直営の施設運営こそないものの(*)近郊の沿線観光地を駅頭にて宣伝し割引乗車券の発売などを通じて誘客に務めたのである。国鉄は全国ネットワークであるから、各地の有名観光地も対象となり、周遊券の起源となる「遊覧券」制度は1925年に制定され、北海道や九州と云った観光地の集合体である地域を対象とした自由乗降型の北海道遊覧券に九州遊覧券も1933年には発売されていた。
戦後も、それは輸送事情の落ち着いた1955年に周遊旅客運賃割引規定に基づく「周遊割引乗車券」として復活し、翌年には最初の均一周遊券として北海道周遊券が登場している。

(*) - 例外として、「国鉄山の家」「国鉄海の家」があった。どちらも国鉄直営によるスキー客/海水浴客向けの宿泊施設である。道内には、1937年開設の「ニセコ山の家」が存在して2000年代初めまで営業していた。

1960年代の高度成長期に至ると、折からのレジャーブームにより観光旅行は主婦や中高年層をも巻き込み、国鉄はより一層の旅客誘致策を投入することになる。ここに登場したのが、特定の観光地に対して国鉄運賃/料金のみならず、2次交通や宿泊施設までも割引料金にて加えたクーポン式の特殊割引乗車券であった。現在では、旅客/貨物鉄道各社による旅行業は、あまりに一般化しているのだが、それまであくまでも利用運輸機関として旅客誘致に携わった国鉄が、「旅行商品」そのものを企画し販売した最初の事例となった。そして迎えるのが1970年に大阪千里丘陵にて開催された万国博覧会である。

1964年に初めて単年度の赤字に陥った国鉄は、66年3月に運賃/料金の引上げを行うのだが、これは増収どころか、輸送人員の減少をもたらしていた。その意味でも、大きな輸送需要の発生が予想された万国博覧会は、起死回生の機会でもあったのである。
東海道新幹線電車の16両編成化や波動用12系客車の投入などの輸送力増強を背景に、万国博の見物旅行には全国各地を発駅とする特殊割引乗車券が設定され、販売に際しては大手旅行業者との提携の元、電波/紙媒体ほかのマスコミを最大限に利用した一大キャンペーンを展開する一方、全国主要駅に万博コーナー(専用カウンター)を設置してのきめ細かな誘客業務も行われて、国鉄は万博全入場者の約34%を輸送する実績を確保したのだった。

この万博輸送に整備された輸送力を有効活用し、それの閉幕後の需要確保を目的としたのが、1970年10月1日からの『DISCOVER JAPAN』と題された誘客キャンペーンであった。
これについては、次記事に続ける。

写真は、大沼と小沼の接続水路である通称-セバットを往く、D52牽引の4181列車桑園行きである。
この付近の風景は約40年を隔てた今もさほど変わっていない。迫渡橋梁(21M)のスルーガーダーは、水面交通の桁下高の確保によるもので、遊覧船も引き続きこのサイズに限定される。ただ、線路周囲の樹木は生長して、それに覆われるようになってしまい、写真は少々撮り難い。

北海道周遊券の発売は、カニ族と呼ばれた横長のキスリングを背負った一群の旅行者を呼び寄せたのだが、離島や秘境など奥地を目指した彼らに、既成観光地のこの大沼地域は魅力的では無いらしく、離道に際して帰りがけに立ち寄ることが多かったようだ。札幌からの夜行<すずらん>は、シーズンには満員で季節停車する大沼で多くのカニ族が下車していたものである。(上りの砂原線運転に付き大沼公園は経由しない)

[Data] NikomatFT+P-AutoNikkor50mm/F2 1/500@f5.6 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by PhotoshopLR on Mac.
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コメント

こんばんわ。

函館への出張や青森への旅行も重なり
この橋を12日間のうちに
2.5往復しました。

残りの0.5往復ですが…
上りのはまなすは砂原まわりでしたよね?

このあたりは
線路に湖面が近くって夕方に通ると
波が穏やかな湖は反射光が
きらきらにぎやかなんですよね☆

  • 2013/02/06(水) 21:50:44 |
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  • An #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。杏さん。

北津軽の旅は如何でしたか。
西海岸(日本海岸のことです。青森の人はこう呼びます)まで往かれたのでしょうか。
冬の五能線は恐ろしく良いですよー。
津鉄のストーブ列車、機関車が不調の様子で気動車牽引は残念でしたね。

さて、このセバット周辺ですけれど、今も昔もあまり変わっていなくて、
杏さん的には、あまり面白くないんじゃあないでしょうか。
それでも、これよりさらに10年前、内地から小樽に転居した家族が最初の道内旅行で訪れた頃には、
並行した道路(今の道々43号線)は未舗装の砂利道でした。
土煙の立ち上がる中で、C62の<まりも>を見送った覚えがあります。


  • 2013/02/07(木) 01:36:48 |
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