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"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

七飯 (函館本線) 1974

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函館市の北に位置する七飯町の人口は、1975年から2000年までに1万人程の増加をみている。この間、北海道のそれも50万人ばかり増えているのだが、85年以降は横ばい状態の続き、道外からの札幌都市圏への流入が全道からの流出を上回った過ぎない数字である。
七飯町の増加は、同期間に3万人を減じた函館市からの転移が大半と見て良いだろう。70年代にも市内電車の走る道道83号線沿いを堀川町から本町、杉並町と移動していた函館市の人口重心は、80年代以降には五稜郭公園東側に至り、市域の東側から北側への市街地/住宅地の進出が見て取れる。それは、当然のごとくに行政区域を越えて七飯町域に及んだのである。
今、函館/大野平野東側の丘陵中腹を往く函館新道からそこを見遣れば、国道5号線沿いに住宅地が七飯市街地まで途切れること無く続いている。

そこでの宅地開発は80年代から本格化したと思われ、この頃までは、小規模な屋敷林を伴った数軒の農家の他は畑作地に果樹林の広がるばかりだった、七飯からの函館本線下り列車線-通称藤城線の七飯高架橋周辺も90年代に入れば住宅の建ち並んで、鉄道を撮るには不向きなロケーションと化してしまった。
宅地は、藤城線が丘陵地に取り付く辺りの斜面にも開かれるのだが、造成中のそこは逆に、函館新道の開通にて城岱牧場への旧道が付け替えられるまで高架橋を見渡す絶好のポイントでもあった。

写真は、高架橋の10パーミル勾配を上る5D<おおぞら3号>釧路行き。
1961年10月改正にて設定の釧路・網走・稚内行き多層建て気動車急行が、70年10月改正でそれぞれ単独運行とされ、この後に15D<おおとり>、そして305D<宗谷>と5分間隔で雁行する、昼のゴールデンタイムである。

この農地は今や一面の住宅街である。同一地点を探し出して、例えそこに立ったところで、軒に遮られて高架橋は望めないだろう。

[Data] NikonF2A+AutoNikkor50mm/F1.8 1/500sec@f8 Y48filter Tri-X(ISO400) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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