"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

倶知安 (函館本線) 1982

kutchan_08-Edit.jpg

倶知安は、内地と結ぶ主要幹線上の拠点駅であったから、当然に駅弁当も売られていた。
ここで、最初に構内営業を行ったのは、記録に残る限りで1911年5月8日に開業の倶知安駅構内立売商会であるらしい(*)。北海道鉄道(初代)による駅開設が1904年10月15日、高島(現小樽)-小樽(現南小樽)間開業にて北海道炭礦鉄道と連絡して函館-札幌間に直通列車の走り始めたのが1905年8月1日であるから、遅きに失したと見えなくも無い。北海道鉄道は1907年7月1日付で国有化されており、許可者は鉄道院と言うことになる。

(*) - 駅弁研究に詳しい林順信氏の記述による。ただし、氏はその出典を明らかにしていないため、この日付が許可申請/許可下付/会社設立/販売(営業)開始の何れに当たるか検証出来ない。この年代の研究者に共通した悪癖である。

それとの歴史的な関連はわからないが、戦後に駅弁販売と駅そばの営業を行ったのは、倶知安町北三条西二丁目に所在(後に近くへ移転)した清水立売商会である。
ここの経営者は、なかなかのアイデアマンと見えて特殊駅弁に面白いものがあった。知る限りだけれど、60年代の後半には、近隣の狩太がニセコと改称したのを見てか、これ冠した「ニセコこわめし」に「ニセコそば」が売られ、ニセコを冠した商品名称の先駆けとなっていた。この当時の道内で強飯は例がなく、もりそばの折詰も長万部と並んで珍しいものであった。手元に残る掛紙を見れば双方とも100円とある。70年代の初めにどちらも販売中止となるのだが、その後にもりそばは「折詰もりそば」の名称にて復活している。
その頃に、300円と400円で並と上の在った「特製おべんとう(幕の内弁当)」も、そのおかずの内容が単純に上は並に種類を付加するでなく、わざわざ変えてあるのも面白く思ったものだった。両者ともに添えてあったみそピーナッツには、ご飯の足りぬ程と記憶する。
86年には、その後の地域グルメに駅弁ブームを先取りするかのような「男爵焼じゃがいも弁当」を発売するも、この年の11月1日改正による優等列車全廃の余波で1年足らずにて販売を中止してしまった。これの掛紙を所有していれば珍品である。
駅弁販売から撤退後も駅そば営業を続けた清水立売商会も、ついに力尽き2010年3月いっぱいにて廃業に至った。

写真は、雪の倶知安を出発する132列車、長万部行き。岩見沢客貨車区の4両組成-3組使用による運用番[札32]である。
道内へのオハ51/オハフ51の配備が完了し、この年の11月15日改正にて置替られたものだが、荷物車の連結が無くなった編成は、函館山線普通列車では異様に短い。この頃、倶知安以南へ運転は、これと折返しの137列車だけだった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor180mmED/F2.8S 1/15sec@f2.8 Non filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/299-42a692e6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad