"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

常紋信号場-金華 (石北本線) 1982

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誰の目にも明らかなように、石北本線の優等列車<オホーツク>は継子扱いである。
宗谷本線の高速化事業の後も、北海道旅客鉄道は北海道高速鉄道開発によるフォーマットを維持しているのだが、池北線の存廃に関わり表面化したように、沿線各自治体の思惑の相違が交錯していて、その事業提案には至っていない。打診などの水面下での動きは在るのかもしれないが、以後報道に現れることも無くなっている。
その間も、沿線と札幌を結ぶ道路交通の整備は進展し、旭川紋別自動車道は丸瀬布までの供用を経て遠軽開通が射程に入り、足寄まで供用中の北海道横断自動車道網走線は陸別-北見間の工事に着手している現状であり、現在都市間バスに対して<オホーツク>が辛うじて優位を保つ所要時分の逆転は時間の問題であろう。
261系内燃動車のごとき高性能車両の投入により、函館本線区間を含めての到達時分短縮は可能であろうが、石北本線内での線形/軌道改良を伴わなければ将来に渡っての優位性確保は困難と思われ、民間会社にそのインセンティブの働かぬのは当然である。
かくして、(遠軽方先頭車が183Nに差替られたものの)今日も<オホーツク>は183系の初期車にて走り続けることになる。

この183系初期車の専用化は、1991年11月10日施行の運用改正に始まり、寝台客車の組込みによるキハ183の高出力機関への換装や編成短縮にともなうキロ182の合造車化にキハ183車掌室の車販準備室改装などを経たものの、この20年あまり変化がない。運用車もそれだけ経年を重ねている。
けれど、過去を顧みれば、1982年度の札幌運転区への183系の新製投入は、当時2往復の<オホーツク>置替を目的としていて、これは<北斗>系統に先駆けるものであったし、1986年度の183系500番台の投入後1990年9月1日改正ダイヤまでは、それはハイデッカーのキロ182も含めて各方面への運用に万遍無く組み込まれ、石北線特急が外されていた訳では無かった。継子扱いは、この91年あたりからと見て良さそうである。
これは、確かに北海道旅客鉄道が高速道路と対抗する主力路線として函館方面、続いて釧路方面へと資力を集中し始める時期と合致している、とするのは少々穿ち過ぎだろうか。

写真は、晩秋の常紋を下って往く31D<オホーツク1号>。
静かな峠を穂を実らせた名も知らぬ草と落葉松林の金色が見守っている。この時期の常紋へは毎年のように通っていたものである。
キハ80系列編成から置替は、82年10月6日の33・34D、翌日の31・32Dより施行され、それでの編成を踏襲した9両組成が運用された。食堂車を含まない組成であるから、その分座席定員は増強となっていた。
編成出力は遥かに高くなったのだけれど、到達時分の短縮はなされず、それは国鉄最期の86年11月1日改正を待たねばならなかった。

[Data] NikonF3P+AiNikkor105mm/F2.5S 1/250sec@F8 Fuji SC52filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptureOne5 on Mac.
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コメント

あけましておめでとうございます。

現代の風景しか知らないけれど、地図を見たり
昭和の街の写真を見たりするのが大好きな私にとって
大変興味深いお写真を公開くださり
ずいぶん楽しませていただきました。

過去に立たれた場所を
今はどうなっているのかなぁと
気になって仕方がなくなります。

これからも乗ったり撮ったりの参考にさせていただきます。
今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

  • 2013/01/02(水) 12:03:13 |
  • URL |
  • An #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

Anさん、あけましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願い申し上げます。

蒸機の時代となれば、さすがに昔々の感がありますが、
<北斗星>の走り始めた頃なぞは、ついこの間の気がします。
あまり、今の撮影には役に立たぬでしょうが、
今後ともおつき合いくださいませ。

  • 2013/01/02(水) 23:46:01 |
  • URL |
  • Wonder+Graphics #-
  • [ 編集 ]

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