"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

名寄 (宗谷本線) 1968

nayoro_02-Edit-2.jpg

その夜は、C55を本務、D51を後補機とした塩狩越えに響き渡る咆哮を、スハ45のデッキでドアを開け放して堪能し、編成前後の夜目にも白い蒸気を身を乗り出して眺めたのだった。デッキを抜ける夏の夜の冷気を良く覚えている。
そして、その<利尻>を午前2時の名寄に降り立ち、そのまま夜明けを迎えた。1年振りの道北道東遠征に眠れと云うのが所詮無理なのである。
この頃の名寄では、深夜にも貨物列車の発着が在り、その入換えも行われていたから機関車の行き交う汽笛の絶えることはなかった。宗谷本線の拠点駅、名寄本線の分岐駅らしく24時間稼働していたのである。
夏の早い夜明けに、C55が機関区を出区、留置線から客車編成を上り方引上げ線に引き出し退行して本線に据える。札幌行きの始発、5時34分発の322列車である。

写真は、それの発車を上り方の構内通路から撮っている。
勿論、画角にも見える信号扱所を訪ねて許可を請うている。今時ならば、許可されないだろうし、列車も緊急停車しかねない位置なのだけれど、機関士も先ほどの入換えでさんざん切っていたドレインを(必要な操作でもあるけれど)起動直後から思い切り排出する演出をしてくれた。撮影者も信頼されていた良き時代である。
信号所の当直助役の注意は、下り本線上は良いが隣接する深名線の運転線には立つな、と云うものであった。なるほど、上りが出発する以上下り本線に列車の来ることは無く、場内信号が停止定位とは云え宗谷本線を支障しない進路構成の深名線にはそれの進入する可能性はあるのだった。自分たちの操作する信号現示に対する絶対の自信と云うべきか、鉄道員とは誇り高き人々だったのである。

後方に留置される急行型気動車は、6時18分発の臨時急行8812D<なよろ>となる編成で、実質的に旭川始発の804D<かむい>編成を夏期輸送にて名寄始発としたものである。キロ26の等級帯が懐かしい。旭川で322に追いつき、札幌へは2時間近く早着出来た。

この頃併用していたカラーネガ撮影をご容赦されたい。この後に上興部へと向かい上興部 (名寄本線) 1968に繋がる。

[Data] NikomatFT+AutoNikkor5cm/F2 1/250@f4 UV filter Kodak unknown film (ISO100) Edit by PhotoshopCS3&LR3 on Mac.
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://northernrailways.blog.fc2.com/tb.php/296-2264f758
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad