"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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留萠 (留萠本線) 1973

rumoi-Edit.jpg

かつて、この駅の深川方に存在した東留萠信号場が良くわからない。
1927年10月25日の留萠線支線の大椴までの開通に際し、その分岐点として留萠から1.3キロ深川方に設けられた信号場なのだが、何よりその位置が分からない。北海道鉄道百年史にも詳細の記述はなく、過去の線路略図でも図式化された配線の記されるのみで実際の線形は知り得ない。
極単純に、後年の羽幌線の留萠構内寄りへの移設後の羽幌線運転列車と留萠本線列車の振分け分岐器位置が、かつての構内西端との記述を以て、現留萌本線沿いに東側位置とする文献も在るのだが、それは1.3キロの駅間に満たない。加えて蒸気機関車の時代ゆえ留萠発着列車に対して、当然に機回しの設備を持っていたはずである。列車の対向もあるとすれば待避線も要し、用地規模は必然的に大きくなる。けれど、それらしい用地の痕跡は見当たらないのである。
廃止されたのが戦前のことゆえ、それも当然かも知れぬのだが、気になるのは占領軍が戦後の1948年に撮影した空中写真である。そこには、その分岐点付近から北側に、その曲線から鉄道と推定される路盤跡らしきものが確認出来る。それを辿ると本線と交差して水路と思われるものと重なるのだけれど、少なくとも交差位置までは水路では無い。
果たして、実際の東留萠信号場とは、この線形をも含むものではなかったのだろうか。これが東側交差位置で本線に接していなければ、それはまさにスゥイッチバック式停車場と言うことになる。
この辺りの事情にお詳しい研究者がおいでであれば、ぜひご教授を願いたいと思っている。

写真は、留萠駅に到着する735D、増毛行きである。
このカットのことなど、その撮影位置ともどもすっかり忘れていた。
留萠駅の上り方の構内を遠望していて、肉眼では画角外のその右に広いヤードから遠く機関区までが見えていたはずである。
その撮影方向と画角を、公開されている国土地理院の空中写真で検討してみれば、どうやら留萌川対岸の国道沿いの法面上部まで登っているようなのだが、明確な記憶はない。
おそらくは登坂に手間をかけ、まだ蒸機列車の在った時期なのに、ここでのカットはキハ22編成のこれだけなのである。念のために能ったオリジナルのネガも当時の撮影メモもそれを裏付けている。
時刻から推定して、この列車の前、14時過ぎの1492列車を待ったはずなのだけれど、それの運休して悔し紛れのカットと思える。逆光側にフェイズの生じていたせいか、市街地越しに広がる海面が飛んでしまっている。

さて、そして現在である。この駅の持っていた広大な構内全てが、パークゴルフ場やグラウンドとなっている事実には愕然とする。

[Data] NikonF photomicFTN+AutoNikkor135mm/F2.8  1/250sec@f5.6 Y48 filter NeopanSSS Edit by PhotoshopLR3 on Mac.
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