"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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山軽-安別仮乗降場 (天北線) 1985

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85年の3月改正はニュースだった。
宗谷/天北線急行の14系客車置替である。
ダイヤ改正ごとに、特急格上げや列車廃止の一方だった昼行の客車急行が設定されるのは、事件だったのだ。
その年の幾度かの渡道スケジュールの大半を道北方面に費やしたのは言うまでもない。

同改正での函館線急行の編成見直し=編成減車による捻出車の転用ではあるが、未だに気動車特急の設定のない道北方面系統急行の冷房サーヴィスや接客設備の改善を図ったもので、伸長しつつあった都市間バスへの、当時の国鉄北海道総局の危機感が、この措置に見て取れる。
運用組数の抑制で、一往復が夜行<利尻>と共通運用となり、寝台車が座席代用で供されるのも、かつての東北線臨時急行などに例のあるものの定期列車では前例がない。

夜行客車急行の設定のあった宗谷線はともかくも、廃線が語られ始めていた天北線を機関車牽引列車、それも急行列車が駆け抜けるのは、事件に違いなかった。
線路規格の低い天北線へは、DD51では速度に制限を受けるため、必然的にDE10(DE15)の牽引となった。
それまでも、75年3月改正までの<日本海>の米原-田村間など本線優等列車の牽引事例は存在したが、100キロを越える区間での本線仕業は、これも事件と呼んで異論の無いものだった。(後年には陸羽東線での<あけぼの>事例が記憶に新しいが)

山軽からクッチャロ湖小沼畔の10パーミルの勾配を、303列車<天北>はまさに駆け上がるようにやって来た。
急行列車に相応しい走りだったと思う。札幌運転所[札2]運用、稚内から夜行<利尻>で折り返す編成だ。
後方に、クッチャロ湖大沼が広がる。

[Data] NikonF3HP+AiNikkor105mm/F2.5 1/500@f5.6 Fuji SC48filter Tri-X(ISO320) Edit by CapureOne5 on Mac.




追記
道内夜行急行の末期、所定編成が減車されたことから、春期から秋期の間にDD51に替えてDE15による牽引実績がある。これは、冬期間の除雪用機関車の有効利用を図るとともに、DD51の走行距離の抑制、1台機関機による走行燃料の節約を目的とした措置であった。
冬期間や、夏期でも増結のある場合には、DD51に復帰していた。
具体的には、<大雪>が90年9月7日の下りから、91年11月30日の上りまで。<利尻>が、90年10月1日の下りから同年11月29日の上りまで。<まりも>が92年春期(期日不明)以降である。

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