"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

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音別-古瀬信号場 (根室本線) 1975

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撮影や移動の都合上、夜行急行からの深夜の下車や、宿舎泊まりなら未明の起床は必須であった。まして、夜行列車の上下を乗継いで出発地に舞い戻るなら、それは必然的に午前2時前後になった。
緊張感からだろうか、連日の疲労が重なっても起きられたものである。下車時刻の30分程前になると不思議と目の覚めた。
不覚にも、の寝坊は二度ある。覚えているくらいだから、この2回だけである。
一度は、翌朝の下り<利尻>を撮るつもりで2時起きのはずだった南稚内のホテル。目覚まし時計に記憶が無い。これに懲りて、次回からは駅近くの呑み屋で仕舞いまで粘ることにした。
もう一度は、士幌線に向かうべく小樽から乗車した釧路行きの<からまつ>だった。1両に10人程の乗車で静かな車内だったのだが、深夜に赤平から芦別まで乗った酔い客に起こされてしまい富良野あたりまで寝付けなかったのである。目覚めるとすっかり夜は明け、停車した駅の名は新吉野と読めた。

致し方なく、この日降りたのが音別だったのである。予期せぬ初訪問ゆえ地形図の準備も無く、車窓に記憶の在った下り方の海沿い区間へと歩いた。ロケハンのつもりでいたのだけれど、そんな時に限って好天に恵まれるものである。太平洋岸の秋空の痛快なまでの空気感を良く覚えている。
夕刻、駅へ戻るまで海岸を歩き、また幾つかの段丘に上り下りしたが、遠くに国道を見た以外に、誰一人にも出会わぬ一日なのだった。

列車は、425列車。滝川を早朝に出ての釧路行きである。
この頃ここでは、昼間に3往復の客車列車の撮影が可能であった。これらは、貨物の運休や臨時の運転が在れば、機関車の送込みや引抜き回送にも使われ、重連運転が多々行われていた。

[Data] NikonF PhotomicFTN+AutoNikkor50mm/F2 1/500sec@f8 Y52filter Tri-X(ISO320) Edit by CaptuerOne5 on Mac.
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