"Monochromeの北海道 1966-1996" そして Ektachromeの頃

北母子里 (深名線) 1980

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この魅惑的なルーラル鉄道が姿を消して久しい。
1995年の9月は、北海道旅客鉄道が承継して9年目のことであった。よく生き永らえたと云うべきだろうか。

おさらいをすれば、1980年代に進められた国鉄の多くのルーラル線区のバス輸送への転換やそこからの経営分離は、紆余曲折の末1980年10月に成立し、同年12月27日に公布、即日施行された日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(1980年12月27日法律111号-以下国鉄再建法と記す)を根拠としていた。
そしてそれは、1981年3月11日に公布・即日施行の同法施行令「別表第一」にて当時の国鉄の営業線245線を区間表示にて定義し、同法第八条第一項に基づいて、このうち175線を同年4月10日に運輸大臣が地方交通線として公告、ここから「その鉄道による輸送に代えて一般乗合旅客自動車運送事業による輸送を行うことが適当であるものとして政令で定める基準に該当する営業線」と規定する同法第八条第二項により、それらを「特定地方交通線」として数次に分けて申請し、運輸大臣が承認する手順にて行われた。「政令で定める基準」とは、一日あたり4000人未満の輸送密度であった。

それの4000人は疎か500人にも届かぬこの線区は、同条にある4項目の除外規定のひとつ「代替道路の未整備」を事由に、特定地方交通線への申請対象外とされた。朱鞠内-北母子里間20キロあまりの朱鞠内湖北岸区間に並行道路が存在せず、蕗ノ台/白樺の着発旅客のバス代替は困難との判断からである。もっとも、この時点でもこの両駅の定形的な利用客は皆無であったと思われ、厳格に適用されるべき法律に内在する矛盾ではあった。

北海道旅客鉄道に承継後の1990年3月10日付にて、この両駅は廃止され、ここへの代替道路の必要も消滅した上に、国鉄の民営化にともなう国鉄再建法の廃止にて、その根拠も失われていたのだが、同社はその区間への道路の開通を見届けてから、自社の運行するバス輸送への転換を沿線4市町の首長に提案した。1994年12月10日のことである。
これを受けて結成された沿線自治体による対策協議会は、通り一辺倒の意見を表明するものの、さしたる抵抗のないまま95年5月17日に至って提案の受け入れを表明したのだった。

1980年代、国鉄再建法の下に全国83線区の沿線にて繰り広げられた様々な反対運動や抵抗が嘘のように感じられさえした対応は、廃止の留保されていた経緯から、この線区での特別の事情と捉えたいところなのだが、その時代より十数年を経て自治体や沿線住民の意識の変化も垣間見えるものであった。
これを、より認識させられたのは、最近の江差線木古内以遠区間の廃止提案に関してである。江差町や木古内町からの反対意見は皆無と言って良い。これは当事者の北海道旅客鉄道も予想外ではなかったろうか。
地域の道路整備が進み、函館への高規格道路も通じたとなればなおさらのこと、鉄道を地域の拠り所とする意識はとっくに霧散していたのである。

写真は、北母子里から遠く無い朱鞠内湖岸での944D、朱鞠内行き。
雪が深くて山側には登れずに氷結した湖上に出て撮っている。伐採木もすべて埋もれていたから、そこでの積雪は2メートルを遥かに越えていたはずである。
この切取りと盛土は永く残るけれど、植生は自然に還って、今はここへの接近すら困難だろう。

[Data] NikonF2A+AiNikkor35mm/F2 1/500sec@f8 Kodak No,12 filter Tri-X(ISO320) Edit by PhotoshopCS3 on Mac.
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コメント

こんにちは

ダンナが学生だった頃、この地域の地質調査や植生調査に研究室ぐるみで訪れ、
数日間か通ったことがあったそうです
なんにも知らずに後から車できた後輩の道外出身の学生は、
蕗ノ台、白樺の駅に来たら何か飲み物食べ物はあるかもと立ち寄ったのだそうです(笑)

母子里のマチに先に来ていた担当教官とダンナたちは 日曜日はお店がやってないことは知っていたので 
自分たちで湯を沸かし、小さな小学校の運動会に地域の住人たちも参加してるのを珍しげに見ながら
麺をすすっていたそうです

そのときに初めて「笹の墓標」のことを教官から聞いて そのあとの朱鞠内湖周辺や名雨線周辺の調査にびくびくし、実際身も凍る思いもしたのだそうです

私も、ここは立ち寄るたびに身が固まり不思議な感覚が体を流れます

  • 2012/11/07(水) 08:51:23 |
  • URL |
  • Jam #-
  • [ 編集 ]

Re: タイトルなし

こんばんは。

そうですね、ここの雨竜第一/第二ダムに堰堤から発電設備に至るまで、アジア太平洋戦争当時の、
大陸/半島からの強制連行、強制労働の歴史があるのでした。
その資材輸送線として建設されたこの線の朱鞠内-初茶志内間も同様です。
今も人知れず埋まっている魂の在って不思議はありません。

  • 2012/11/07(水) 23:30:10 |
  • URL |
  • wondergraphics #-
  • [ 編集 ]

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